小田和正武道館9月21日・バースデー翌日ライブ

September22 [Thu], 2005, 16:10

小田和正武道館9月21日、バースデー翌日ライブ。
行って参りました。
指輪がひしゃげた~(拍手しすぎ)

今日も武道館でキラキラ

の予定ですが、以下昨日のネタバレをさらりと↓

小田さんのお誕生日の翌日、ということで気合いはいりまくりの私。客席も心なしか熱いかんじ。わくわく。
何かスペシャルなことあるかな~?とうっすら期待してたら、ありました!
センターステージのギターコーナーで。

客席から自然発生したハッピーバースデー大合唱!!

もち、私も手拍子と大声で歌いました。
小田さんお誕生日おめでとう~!!

そのあと動揺したのか、「夏の終り」でギターをトチる小田さん(笑)

バンドのみんなからは、お祝いにiPodをもらったそうです。
いっぱい曲入るけど、自分で入れるのめんどくさいだって(笑)
いろいろ昔の歌をダウンロードしようかな、と言っていました。

今日は後先考えずに突っ走ります、との言葉どおり。
たそがれ~さよなら、は特に圧巻。ぞくぞくしました。全身鳥肌ものでした。

そして、泣いちゃいましたねー。「言葉にできない」で。
小田さん、じゃなくて自分が。

だって、凄くなかったですか?
小田さんが58歳になって最初に歌った、この日の「言葉にできない」。
気がついたら涙がボロボロこぼれていて、アンコールを待つ間中、止まらなかった。
たぶんものすごい力で心を揺さぶられたんだと思う。歌の力で。

すべての演奏を終えて、マイクなしで何度も何度も客席に向かって「どうもありがとう!」と叫んでいた小田さん。

「今日ここにたくさんの人たちがいるけど、僕より幸せな人はいないんじゃないかな…」

我々だって、とっても幸せな夜でした!
小田さんには負けるかもしれませんけど。
しかもあと3時間後にはまた小田さんに会えるしあわせ

3時間後、9月22日武道館はこちら。

小田和正8/24「ザ・ワイド」レポ3・あの事故から57歳の今まで

August25 [Thu], 2005, 13:54

小田和正8/24「ザ・ワイド」レポ1「言葉にできない」はどう生まれたのか。はこちら。
レポ2・オフコースを振り返って。はこちら。

(「緑の街」撮影風景。2本の映画を監督。
その後、思わぬ災難が小田さんにふりかかる。
1998年7月、九死に一生を得た東北自動車道での事故。当時のワイドショーの映像。入院時の写真)

草野さん:交通事故に遭われたっていうのは、忘れられないことだと思うんですが。(小田さん:そうですねえ…)

(時折目をつむり、ゆっくりと話す)

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小田和正8/24「ザ・ワイド」レポ2・オフコースを振り返って

August25 [Thu], 2005, 13:06

小田和正8/24「ザ・ワイド」レポ1「言葉にできない」はどう生まれたのか。はこちら。

(「my home town」が流れる。子供時代の写真。幼少時代の小田さんは?)

草野さん:長男の方が中学の頃、毎朝お母さんに起こされて、なかなか目覚めが良くなかった。それを次男である小田さんはじっとご覧になってて、自分は中学生になったら、絶対あんな風にはならないぞ、と思って。本当に中学になったら、お母さんが起こしにきた時にはもう、布団の上にちゃんと座ってたという…?

小田さん:(母親に)起こされたことないですね。(草:笑う)
うん…だからもうけっこうね、ずうっとそういう生き方ですね。
一回そうなると。
(目をギュッとつむって左手で目尻横をかき、思い出しながら話すように)
大学の時仙台行ったんですけど、なんも意味ないんだけど、大学ったらみんなサボったり、代返したりが基本じゃないですか。
なんだかある時から急に、早く、大学行くようになったんですよ。学校が開くの待って。それで入ってたんですよ。
それで、一回そういうことになると、途中で止めらんなくなるんですよね。止めるとダメな人間になってくような気がして。
さっきその、走ってるって言ったですけど。走ってないと、自分が、堕落したみたいな。
それはけっこうきついですね、自分では。

(「ムーン・リバー」中学・高校の写真。野球部の主将、そして音楽にのめりこむ。
「夏の終わり」東北大学工学部建築学科に進学。卒業設計「アート・ヴィレッジ」の図面。早大理工学部建築科修士課程卒業)

草:建築学を一応放棄して、歌の道に入っていかれたというのは、なにか大きなきっかけとかあったんですか?

小:きっかけはないですね。歌が好きだっていう、歌をやめるっていうことは…歌をやめるっていうことは想像できなかったですね。
で、建築をやめるってことは、想像できたんですよ。
(草:なるほど)
歌をこっちに置いちゃう(両手で横に置く仕草)っていうことはね…自分の人生のなかでは有り得ないなっていう。

いざとなったら、薬局の店番でもすりゃいいか、みたいな、逃げ道はどっかにあったみたいな気がしますけどね。 

(オフコース結成。コンテストがきっかけでプロデビュー。
10年間試行錯誤の日々。しかしついに大ブレイク。
”オフコース1982.6.30武道館”より「さよなら」の映像)

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