居酒屋の星野仙一・その4「the flag」

February17 [Fri], 2006, 17:32

「居酒屋の星野仙一~ゲスト・小田和正 in 名古屋」

NHK-BS2で2006年1月26日に放送されました。
ツボをぼちぼち書くつもりが、全編に渡ってツボだらけなので、ほとんどひたすら文字起こしの様相を呈してきております…

■「the flag」
名古屋でのライブ、フルコーラスが流れる。

客席には『歌がわかる、人間がわかる、男がわかる』そんな人のひとり、
星野氏。
頬の涙をぬぐいながら、聴いている。

それからの 僕らに 何があったんだろう
変わってしまったのは 僕らの方なんだ

自由な翼を 僕らは たたんで
二度と そこから 飛び立つことはなかった

やがていつの日か この国のすべてを
僕らが この手で 変えていくんだったよね

僕らが この手で すべてを

こゝから 行くべき その道は どこかと
できるなら もう一度 捜さないか
戦える 僕らの武器は 今 何かと
それを見つけて こゝへ 並ばないか

(「the flag」作詞・作曲 / 小田和正 より歌詞一部抜粋)

星野氏「今日聴いてて…、3曲目に『the flag』。
涙出てきたんだよ。
若い時にこう思って、…なんでお前それ貫かないんだと。
頑固なまでに、
この歳になっても、若い時の夢を貫こうよ!っていう風な、メッセージに聞こえたわけよ。」

「定年、リストラ、早期退職、次の就職、もうひとつは孫の話。
おいちょっと待てよお前ら、と。
若い時のあの考え、『the flag』じゃないけども、あの考えを。
もう少し、考え直してみろと。

だから…ある意味、団塊の世代を代表して、俺は指揮とってたと。
という風な監督時代だったよ。そういう意識はあったよ。
今、そういう意識ない?歌ってて。」

小田さん「ああだからそれはもう、人とギャップができちゃって…。
でも、俺エラそうに言う訳じゃないけど、
俺は頑張ってんだけど、頑張ろうよ?!って。
もう一回、
もう一回出来るような気がして。俺の幻想かもしらんけど。
仲間集まったら、またなんか、そこに、始まることがあるんじゃないかみたいな気がしちゃうんだよね。」 

「今日、俺が感じたように。
うらやましい。
団塊の世代、還暦を迎えようとする男たちが、うらやましいということは、彼らにものすごい勇気を与えてると思う。
俺も勇気もらったもん。本当にそう感じたよ。お世辞でもなく。」

「いやいやそんなこと…いやいや…」

↑燃える男・星野氏が熱く語っている間、ずっと困ったようにちっちゃい声で言い続ける小田さん(笑)

■このあたりでちょっと休憩、大豊さんの台湾料理が並びます。
過酷なツアーですっかりスリムになってしまった小田さん、ぜひいっぱい食べてください!
おいしそうだなー。食べに行きたいなー。
もし場所がわかってたら、名古屋最終日の帰りに寄ったのに~ざんねん!

■「今年台湾のツアー行ったのよ。
それが感動しちゃってさあ、俺もう泣きじゃくっちゃったよ。」
(ぱくっ)「(笑)」

「いやなんかね…。2度目なんだけどコンサート(背筋がぴっと伸びる)
とっても待っててくれた人たちがいっぱいいて。
なんかね。俺は、音楽は国境を越える、とか言うじゃない。
なぁにお前、そりゃこういう人もいるかも知れんけど、そんな簡単に、音楽が国境を越えるなんてこと言うなよ、みたいな。ちょっとへそ曲がりだから。(←自覚あり)
で、今回は、そういうこと、あるぞ、と。

言葉の無い音楽は、音でね、何となく通じ合えることもあるけど、
言葉があるばっかりに、越えられないことって、あるんだよね。
それが…あ、これ、通じ合ってる?みたいなね。
今日のお客さんと、あ、伝わったみたいだっていう、
そういうことがとにかくあって…最高だったね。」

「でも、音符は世界中一緒でしょ?」

「いやだから、台湾語でも歌ったんだよね。北京語で。
やっぱり、一生懸命近づこうとしてくれてる、って向こうは思うのよ。
それが嬉しかったり。

だからさ、今、俺、花道走ってっけど、近づこうっていう気持ちが。
みんなよってくるだろうじゃなくて、近づこうという気がやっぱり、相手に伝わると思うな。」

大豊さんが、バッティングの極意を伝授します。

大豊さん「極意は…僕は気合いだと思います。」
野球少年カズちゃん「え?気合い。(うなずく)…へへへ(笑)」

大豊さん「向かっていく気持ちですね。はい。」
監督「向かっていって空振りしたよな。よく俺に怒られてたもんなあ。」
大豊さん「はい、なぐられました。」(笑)

大豊さん「バッターボックス入った時に、気持ちが負けたらもうダメですね。引いたらダメですね。
向かっていく気持ちがなければ、大振りもできないし。
振らないと、当たらないし。」

(現役時代の大豊さん、豪快な空振りシーン。←ついでにホームランも見せてくれよ~!!)

野球少年カズちゃん、目きらきら。

カズちゃん「僕は、さっきも言ったけど、最初なんでこの人こんなに空振りしちゃうのかなって思ったけど。
それを聞いて。もうすっごく、ああ、よし、今日も空振りしとるなーと思って見てたんだね。」

監督「でもホームラン王獲ったしね。」
カズちゃん「うん。(うなずく)」
大豊さん、笑顔。

カズちゃん「台湾の人たちは熱いねー。」
大豊さん「そうですね。熱狂的なね。」

監督「これ(大豊さん)も熱いんだよー。カーッとなってね。退場なったりしてんだよ。」
カズちゃん「えへへ…自分だってしょっちゅう」

大豊さん「たまには。監督は8回なんだけど、僕は2回です」
監督「そうか…」(カズちゃん爆笑)

まだつづく。

まだまだ語る「居酒屋の星野仙一」その3・あの一球

February05 [Sun], 2006, 0:13

2006年1月26日(木)NHK-BS2で放送された
「居酒屋の星野仙一~ゲスト・小田和正 in 名古屋」。

■1989年10月、名古屋ドームの星野監督を訪ねた小田さんのビデオ。
当然ながら若い…オフコース解散後、42歳。
しかし、監督に向かって「いやあ、楽しみにしてますよ」って。
今とまったく変わらない口調は…若くない(笑)

名古屋ライブでの「たしかなこと」が流れ、
83年、星野氏の現役引退のシーン。
小田さんが花束を渡した、というところは流れなかったけど。

「『燃える男』の名に恥じないよう、全身全霊をマウンドに捧げて参りましたが、ここに燃え尽きました。」
マウンドを去る星野投手の姿…

うおー。感動です。。

■再びレインボーホールのステージ。
「引退すること」について、突っ込んだ質問のあと、

小田さん「自分の野球人生で、あの一球がなかったら…あの何とかがなかったら…、自分の人生は変わってたかな、みたいなのって、ある?」

星野氏「いや、ないね。」小田さん「(すかさず)ないよね。」(客席笑)
「それ考えたらキリがないもん。」
「たぶん、ないんだよ。」
「いっぱい打たれてるもん。」(小田さん、客席笑)

「でも、そんときはさ、その日は、その夜なんかは『あの一球』ってやっぱ悔やむんじゃない?」

「ああ、歌じゃないけど眠れない夜があったよ。」(客席笑&拍手)

(監督時代は悔やむことが多くて、特に自分が間違った時は悔やんだ。)

「素直に謝ることを覚えたよ。お前と違って」(客席笑)
「何を言ってるんすか!(笑)私は謝りますよ。」
「そう?」
「時々ね。へへ。たまーに、か」(笑)←たまに?

「俺ねやっぱりね、たぶん、一生懸命生きてきたら、あの一球って、そん時は悔やむけど、たぶん同じ結果を出してるんだ。相対的に見ればね。
だよな…と思ったよね。うん」 

小田さん、ちょっと嬉しそうな感じ。
一生懸命、生きてきたひと同士の会話。

一生懸命、生きていれば、
あのとき、こうしていれば…と悔やむことはたぶん無い。
きっと同じ結果にたどり着いていたはず。

ライブのMCで、小田さんが言っていた。うろ覚えだけど。

「『たら、れば』って、ゴルフなんかではよく思うけど、後悔するような意味で思うことはない。
むしろ、もしもこの人と出会えてなかったら俺はどうなってたんだろう、と人や物事との『出会い』を感謝する意味での『たら、れば』ならあるけれど。

大豊さんのお店。

ステージでもっと野球の話をしてくれよ。名古屋ドーム満員にならないよ。
と、「この人(星野氏)のせいでしょう!」
言いにくいことを、ズバッと言う小田さん(笑)

■建築家の勉強をしていて、音楽の道を選んだ話。
それぞれ50パーセントの可能性から、結局音楽を選んだのではなく、
今日ステージで「後悔してる一球はないか?」ってきいたけど、ほとんど100パーセントに近く、音楽を選ぶことになってたんだね、と。

「迷わなかった?」

「迷ってはいたけど。それは迷ったような雰囲気だっただけで。
今日『一球』ってきいたように、そうやって道はもう自分で、
(星野氏に)お前決めてるだろう?って言ったように。
決めてんだよ。
たぶん決めてたんだと思う。」

「迷う、てのはだいたい決めてんだよ。」
「そうだね。」
「だから迷うのよ。」
「うん、そうか」「うん。」

「だから、大学院なんか行ったようなフリしてたけど」(ふたりで笑う)
「あれはもうただ伸ばしてるだけで。いつかそうなったんだね。」

■同窓会でいろいろと建築関連の話をきくと、
「けっこう自分の中での幅が。音楽だけをやってきたんではない自分、ていうのが、とっても面白いし。ああやっぱり勉強してきて良かったなあと。」

■建築の勉強が音楽に与えた影響は?
「何も無いところから、創る。という作業は一緒だからね。」

■修士論文の発表の場、教授がいっぱい居る所で、建築学会賞をとったその建物を批判。←なんておそろしい…

たぶん自分に対しても苛ついてたんだろうね。とっても中途半端な気持ちだったんだと思う。
学問としての理想と、現実との違い。
建築の世界での自由度の低さ、が我慢できなかった。

■そうはいっても、音楽で生活してくことは、大変なこと。そういうプレッシャーはなかったのか?という問いに。

建築のことはあれこれ考えたわりに、そのことはあまり考えなかった。
「音楽好きだな。」っていう、それだけで、よくやったな。

燃える男・星野氏「好きを通り越して、音楽を愛してると思うわ。
だから『変えよう』、という発想も生まれてくるんじゃないか、と思うんだよね。
音楽の世界でもそうじゃない。オフコースから始まって。
なんかこの、ミュージックというものを変えていったような、気がしてしょうがないんだけどな、俺。」

おだっち「ま、自分の口からはそういうことは言えないけども…」

(↑ いつの間にか腕組みをほどき、ちんまりと座ってる・笑)

「いやいや、俺は感じてるのそうやって。」←熱い!

「俺なんか、黎明期ってゆうかさ、まだそういう音楽が、なかった頃。
だからいろんな…こうやってかき混ぜたりできたし。
レールも敷かれてないし。
そういう時代を生きれたのはとっても幸せだよね。

今の連中はやっぱりさ、レールがあるから。それにわりと乗ってくっていうかね。
その…通って来た人がいるから。
それはちょっと。それで楽をする人もいるかも知れんけども。

その、通ってきた道を振り返った時には、最高の思い出ばっかりだもんね。
もう、あんなこともやらされた、みたいな(にやり)」

「でも、その、レールを造ったのが、団塊の世代なんだよな。」
「そうなんだろうね。」

小田さんは右手で左の肩を押しながら、言葉を探すようにして話す。
話してる時に、たまに見る仕草。
ジェットコースターから飛び降りたときに(夢ね)打ったとこ?
それとも肩こりなのか?

レールのない時代を、歩いてきた。
振り返ったら最高の思い出ばっかり、と語る小田さん。

今もなお、レールのないところを歩き続けていますね。

「the flag」に続く。→

「居酒屋の星野仙一~ゲスト・小田和正 in 名古屋」その2(きゃーきゃー編)

January29 [Sun], 2006, 14:54

2006年1月26日(木)にNHK-BS2で放送された、
「居酒屋の星野仙一~ゲスト・小田和正 in 名古屋」。
わたくしにとって、かなりきゃー♡

な番組でありました!というわけで
文字起こしなどしつつ、プレイバーック!

■名古屋のコンサート隠し球のゲスト、星野氏との漫談ステージから!
二人並ぶと、小田さんほそいな~。

小田さんから三つの質問。
小田さん「そうやってエラそうにしてますが(笑)(星野氏の肩をぽんぽん、と叩く)相談したりする人って、いるんですか?」

星野氏「ほとんどぜんぶ自分で決めちゃうね。小田と一緒だよ。
聞く耳をもたないというか」(客席拍手)

「(反論して)俺はあのー、誰にでも相談しちゃうっていう。気楽にね。そういうとこありますね。」

「ああ…。でも、最初から決めてるんだろ?

「あはははは!(爆笑)」後ろ向く(笑)
わかってるねー!って感じで「わかりますねえ…いいね。」

「団塊の世代は頑固じゃなくちゃいけない。ほら、きょういっぱい来てるもん。団塊の世代が」(笑)

■というわけで、自他ともに認める頑固なふたり。
元野球選手の大豊さんがやってらっしゃる台湾料理の店へ。

「大豊、コレがお前さんと一緒で頑固なんだよ。」
「俺はそんな頑固じゃないと思うけど?」←またまた

大きな手の大豊さんと握手して、すっかりテンションが上がり、
目をキラキラさせる、野球少年カズちゃん!

現役時代の大豊選手について。
「なんであんなに空振りすんのかなって思ってたんだよ実は。でね、現役最後の頃になって初めて…そういう意地があって、当てにいくのが絶対イヤだったわけでしょ?それを聞いて、そっから見る目が変わったね。」

「見る目がかわった」。
どんだけ「負けずギライの意地っ張り」が大好きなんでしょう…本人も相当とは思いますが。

■生ビールで乾杯♪
「おつかれさん!」で乾杯し、「いただきますっ!」と言ってごくり。

ザ・体育会系って感じで良い良いー!   
■「ステージ立たせてもらって、お客さんを見たら。
団塊の世代の男女が多かったでしょ。あれ僕は感動したな。
歌がわかる、人間がわかる、男がわかる。そういう風な人たちの集まり。
その中に若い人たちの、受け継ぐ人たちも混じってるという。
この…うわー、いい雰囲気だなあ、と思ってね。」

「いい事言ってくれますね」←いつもの腕組みしながら、ちょっと嬉しそうな顔。照れてます。

「20年30年かかったけど、自分はこういう風にやってきて良かったなと思うよね。ああいう人たちを見ると。
ああ、伝わったんだ。ていうか、あ、伝わってたんだと。
それをお互いに素直に表現できるようになったんだなあと。」

「『君は空を見てるか、風の音を聞いてるか』って歌った時に、
みんなも、そういう瞬間、瞬間をこういう風に感じながら生きてきたんだなあ、と思うよね。それがとってもやっぱり嬉しいんだよね。」

伝わってた、と小田さんにわかってもらえてたのが嬉しい(ややこしいな)
話しながら目をこしこしする小田さん。耳をさわる小田さん。
おねむなのか?
それとも…乾燥肌なのか?

■実生活の中にはドロドロしたことがたくさんあるから、歌の世界ではドロドロした歌詞はあえて書かない、という小田さんに、
「じゃあなぜ、あれだけの客層、ファンの支持を受けるのよ?」と鋭く問いかける星野氏。

「だから、それはもうたぶん、みんなが同じ気持ちを持ってるんだ、って。
君は空を見てるか風の音を聞いてる人たちなんだな、って思うのよ。
で、普段それを日常生活の中で、やな上司がいたり、やってらんねーな、みたいなとこで、
俺が歌ってるとこ来て、『君は空を見てるか、風の音を聞いてるか』って言った時に、『あ、そうだ、俺聞いてるよ!』っていう…その場なんだと。
その場に来れるっていうような。素直になれるんだと思うんだよね。」

「普段だからそんなこと言ったら、お前何言ってんの?って言われちゃうんだと思うんだよね。
会社行って『みんな。今日は、空を、見上げたか?』(小芝居入り・スタッフ笑)とか言ったら、気持ちわりい上司だなって(星野氏高笑い)思われちゃうんだと思うのよ。
それが、もう俺がゆってっから。『そうだよなっ!』って言うんだと思うな。」

ファンがどんな気持ちで小田さんの曲を聴いていると思う?
ストレートな言葉で小田さんに問いかけてくれた星野さん。ナイス!

やっぱそこはファンとしてもすごく知りたいわけで。
小田さんも珍しく、素直に答えてくれた。
早くもビールがまわった様子。

今日は空を見上げたか?って部下に聞く上司…ちょっと困るな~
でも、もし小田さんみたいな上司がいたら。(想像中)
厳しすぎてそれはそれでイヤ(笑)

ここまでで12分、濃ゆ~い対談です。
長年の友人の前で、打ち解けてしゃべる小田さん。
星野さんがね、またいいです。
嘘とか取り繕いとか、一切許さない、熱い人だから。

「あの一球」に続きます。→