「ヤスへ」(小田さんからの手紙・文字起こし追記)

名古屋の方!!

October27 [Wed], 2010, 18:25

名古屋の方!!本日NHKの昼の番組で何があったんでしょうか~!!!
とちょっと呼びかけてみる!!!!

「ヤスへ」(小田さんからの手紙・文字起こし追記)

October27 [Wed], 2010, 19:59

あきさんより、コメント頂きました!!
ありがとうございますーーーーー!!!!!・゚・(ノД`;)・゚・

本日放送された、NHK名古屋放送局の
情報フレッシュ便さらさらサラダ、公開生放送に、鈴木康博さんが出演されてたのですが…

(19:53追記)
あきさんより、録画を見ながらの文字起こしをコメント欄に頂きました。
本文にも転載させていただきます。本当にありがとうございます。

【あきさんからのコメント】

ヤスへ

と、あの小田さんの字で書かれた白いFECの封筒。小田さんからのお手紙が届いていました。

番組がヤスさんに内緒で、小田さんに依頼したようです。「こんな交流は久しぶりです!」とビックリされてました!

あきさん、ありがとうございます!!ありがとうございます!!
うわああああああん

【あきさんよりいただいたコメント:手紙】

録画を見ながら、手紙の内容をおこしますね。
(まだ最後まで観てないので、取り急ぎ手紙のところだけ。)

久しぶりです。 そうですか、もう40年になるんですね。音楽を始めた頃、30歳を超えてうたをうたっていくというイメージすら持てなかった。きちんと学業を修めたものがいい歳をして歌なんて、そんな時代、アーティストなんて言葉もありませんでした。予想はしていましたが、それよりずっと早く時はいきました。でも、そのあっという間にいろんな事がありましたね。高3の聖光祭で初めてステージに立ったあの日、ただ洋楽をコピーして歌っていればそれだけで楽しかったあの頃。そして自分たちで歌を作り始め、いつか多くの人たちが僕らの音楽を受け入れていってくれたあの頃。想いはどんな場所にもすぐに帰れます。そんな数えきれないキラキラした思い出を共有してくれている人がいるという事を、心から嬉しく思います。いつかそんな事を語り合うような時がくるのでしょうか。体に気をつけて。楽しくうたい続けていかれるよう、心から祈っています。
2010年10月 小田より

ただただ涙です…あきさん、ありがとうございます。

10/27放送「情報フレッシュ便さらさらサラダ」鈴木さんゲスト・番組レポ by あきさん

October29 [Fri], 2010, 0:582010年10月27日(水)午前11:30~12:00、
NHK名古屋放送局で生放送された「情報フレッシュ便 さらさらサラダ」
鈴木康博さんゲストの公開生放送の番組レポを、
放送地域在住の、あきさんから、頂きました!ヽ( ´ ∇ `)ノ

昨日アップした「小田和正さんからの手紙」の文字起こしをしてくださった方です。
あきさん、ありがとうございます!心から感謝いたします

【10/27放送「情報フレッシュ便さらさらサラダ」レポ by あきさん】

 名古屋のお昼はさらさらサラダ~♪ 

さっそく今日のゲストを紹介したいんですけれども、
シンガーソングライターの、鈴木康博さん。

あの人気グループ、オフコースの元メンバーという事で。 
さっそく一曲披露していただきたいと思います。 
80年代から歌い継がれている曲、ご紹介しましょう。
「一億の夜を越えて」。 

曲:一億の夜を越えて

→→ヤスさん、ピンクのストライプのシャツに、ジーンズ。 
  ギター一本で。
(観覧者の方々の微妙なタイミングの手拍子 あったりして、観ててヒヤヒヤ・・・

) 

改めてご紹介しましょう、シンガーソングライター鈴木康博さんです! 

「どーもーこんにちはー」 

よろしくお願いします。 
名古屋どうですか?どの位いらっしゃってますかね? 

「もうねー、年2回位は来てるかな?」 

19才の方からのおたより。 
『鶏肉は食べられないと思いますが、名古屋では何を食べてますか?』 
鶏肉嫌いなんですか? 

「そうなんですよね~駄目なんです。
我々の世代は、捌いているというところとか、あれがトラウマになっちゃっててね。
そういう人多いかと思うんですが。スープなら大丈夫です。」 

みなさんよくご存知かと思いますが、
鈴木さんがメンバーに加わっていた、オフコース、 
ちょっとおさらいをしていきたいと思います。 

→→5人の写真のフリップ登場(”時に愛は”あたり? 両端にヤスさん、小田さん。) 
  バックには「さよなら」♪ 

さて、この中で鈴木さんはどれでしょう?!こちら!(左)ですよー。 
右端は小田和正さんですね~。 

デビューは70年ですね? この5人になったのは76年から? 

「そうですね、はい」 

そしてこの”さよなら”が大ヒットしましてね? 

「はい、そうです、78年になります」 

このオフコースはどんなふうに活動が始まったんですか? 

「最初は高校時代、学園祭でなんかやらかそう、と。
ギター持って、何人かでやればハモれるんじゃないかと。」 

この中だと誰と一緒に?(→さっきの写真) 

「この中だと、僕と小田しか残ってないですね~。あと他に2人いて。」 

→→この後、82年の”若い広場”の、武道館とアルバム作りの映像が流れます。 
  「YES-NO」♪  

画面右下。小さい枠の中で映像を見つめるヤスさんの顔。 
ちょっと、リズム取ってます。 

貴重な映像ですね~。高音ですね~! 

「私は小田よりも高いとこ出してましたね(笑)」 

改めて見てどうですか? 

「いやー本当に忘れていたシーンですからね(笑)
こんな事あったのか、みたいな感じです(笑)」 

でも、どうして当時、オフコースはテレビに出なかったんですか? 

「いや、最初はまだ2人で始めた頃は、ちょっと出てたんですよ。 
その時に時間制限されたり、口パクで歌えっていわれたり・・・」 
「そういうのが嫌でね、避けようかって事になって・・・」 

で、この後、人気絶頂の時に鈴木さんはオフコースを離れるワケですが、 
率直に言って、なぜ、だったんですか?  

「今考えるとね、グループの中にいて、そういう組織、輪の中にいるよりは、 
自分探しの旅に出たくなるんですね。 

だから、当時オフコースが、小田色がすごく強くなっていって・・・ 
それぞれの役割分担をうまくやってくと、勢いが出てくるんですが、 
そういう中に入ってるのが、何となく、自分の土俵でやっぱりやりたくなって。 

小田和正の土俵じゃなく、鈴木康博の土俵でやってみたい気持ちになっていって。 
それで、卒業させていただいたみたいな感じなんですけどね(笑)」 

今年はオフコースとしてデビューしてから40年という事で、
節目ですが、どうですか? 

「振り返るより何より、こんなに長くギター弾きながらうたってる
なんて思ってなかったですね。うたい始めた頃は。
とても40年という時間は長いなって思います。よくやってきたな、と。」 

はい、実はですね、オフコース時代の仲間だった、
小田和正さんからなんと今回、おたよりをいただいてます! 

はい!こちら見て下さい!本物ですよ~。 

「えっ?!」(←嬉しそう) 

→→ここで 「ヤスへ」 封筒登場。  
裏には 少し大きめに書かれた「小田和正」の文字。  

「あ、ほんとだ」 

→→女性のキャスターが小田さんの手紙を読み上げます。 
 ヤスさんは、頷きながら聞いてます。 

「小田さんからの手紙」文字起こしはこちら→

 そして最後、小田より、と聞くと、ニッコリ。 

いかがですか? 

「いや~、よくあの、この番組で・・・お願いした感じなんですか?
私、知らなかったんです、本当に。 
ビックリしました~(笑)ほんとに久しぶりの交流です。
あとで、お礼を言っとかないといけないですね(笑)」 

この後は、その後の活動について。 
楽曲提供、曲作り等。 
最近は「タケカワユキヒデ」さんや「岸田敏志」さんとユニットを組んでる事を紹介。 

→→3人でのライブ映像。 

でも、しかし、独自路線でいこうと思って、ソロになって、
ソロでのライブもやってらっしゃるんですが、 
楽曲提供したり、ユニットを組んだり、
やっぱり音楽仲間っていうのは常に必要って事なんですかね? 

「ええ。やっぱりオフコース離れて、またオフコースという感じじゃなくて、
いろんな人と時々会って、 
他の人がどんな音楽の感じ方をしてるっていう事がわかるって事は、すごく楽しいんですよね」 

→→今度、11月6日に名古屋で行うライブの告知。 

音楽活動はどれくらいまで続けて行きたいと思われてますか? 

「今、60越えまして、70までは現役でできたらいいな、と思ってます」
「ゆったりと!がんばりたいと思います!(笑)」 

「さらさらカフェ公式HP」ヤスさんのゲスト写真はこちら→

あきさん…どうもありがとうございました!!

まるで、目の前に、微笑んでいるヤスさんが浮かんでくるようでした。。

手紙の文字起こしだけでなく、番組レポまで頂けて、感謝の気持ちでいっぱいです。
名古屋の生番組ということで、再放送などで見られる機会は厳しいと思われ…
時間とお手間がかかったと思いますが、とても貴重なレポを、ありがとうございました。

「70まで歌い続けますから!」とステージのたびに力強く宣言してくれるヤスさん。
まだまだ、これからもずっと、追いかけてゆきます!!