プレス220号を読みました。
カフェのサイトで写真を見てから、読むのが楽しみなような、怖いような…
12月20日京セラドーム、小田さん涙の胴上げ。
あの時の気持ちを思い出してしまったら、またツアー恋しい病が悪化するんじゃないかと…
案の定、読んでショックを受けています。
小田さんの怪我は、思っていた以上に重傷だった。
東京ドーム初日にやっと
「奇跡的になんとか自力で歩けた」
そんなギリギリの状態で、
痛み止めを打ち、思うように動けないもどかしさと戦いながら、
3時間のドームライブをやりきった。
小田さんの辛さ、悔しさは、想像以上だったに違いない。
11月26日、東京ドーム。小田さんのMC。
「ドームは思ってたよりずっと広かったけど、予想してた以上に楽しかった!
この大空間を大疾走する予定でしたが、その機会は次にとっておきます。
必ずドームを走ってみせます!」
「次の機会」という言葉に有頂天になり、「楽しかった」という小田さんの言葉が嬉しく、素直に喜んでいたけれど、
その言葉の裏には、どれほどの思いが隠されていたのかと…
12月6日、ナゴヤドーム。自分で書いたレポを読み返す。
「『愛を止めないで』
花道の緩やかな坂を小走りで駆けて、アリーナに降りました!
時々マイクを向けながら、客席の間を回ります。
ホントは走りたいんだろな~
♪あいをーー とめないでーー
この、この部分の声の艶やかなこと!」
怪我の心配をすっかり忘れさせてくれた、小田さんの姿が浮かびます。
そして12月20日、京セラドーム。ツアー最終日。
…12月20日、足はまだ痛む、あまり良くなっていないのか、無理するとまた歩けなくなるのか。でももう明日はない、ここで走らないでどうするんだと自問してから、映像を担当しているフナに「『こころ』で先端まで走る、その後はどうなるか分かんないけど、とにかく走るから」と告げた。
あの日『こころ』で走ったのも、
自転車で激走したのも、怪我がよくなったからじゃない。
ただただ、小田さんの気持ちひとつだったんだ。
3時間を超えるライブ、ツアーのラストを迎えた瞬間が、あの写真。
涙の胴上げと、スタッフ全員の拍手…
あああ。あの瞬間に戻りたい。
あの時も感謝の気持ちでいっぱいで、泣きながら会場のモニターにあわせて一緒に万歳したけれど、
もっと、もっとたくさんの感謝を、伝えきれない思いをこめて、もう一度拍手を送りたいです。
最終日、『ダイジョウブ』を歌う直前の、小田さんの言葉。
「どうもありがとう!
ようやく、というか、あっという間に、というか…
最後の曲にたどり着きました。
実は、今から一ヶ月ほど前、ゲネプロをやっている最中に、自転車でひっくり返って脚を強打、
東京と名古屋では、走ることができませんでした。
だから、今日はなんとしてでも走りたかった。
でも、ずっとかばってきたので、すっかり筋力が落ちて、走ろうとしてもぜんぜん動かない…自分の脚じゃないみたいで。
しかし、なんとか鍛え直して、ドームを疾走したいと思っております!!
(大拍手!!)
客席を見渡すと、思いのほか自分より年上の人たちが来てくれて、とっても勇気づけられました。
脂ものを控えて(笑)魚介を食べて、野菜をいっぱいとって、がんばっていれば、
きっと、みんなに、いつか会えると、信じられるようになりました。
また鍛え直して、きっと帰って参ります!
みんな元気で、幸せに!!
どうもありがとう!!!」
おうおうおうおう(号泣)
「楽しかったね」
その一言に、抱えきれないほどの、たくさんの思い出がつまっています。
とっても、とっても楽しかったです。。
ありがとうございました。
きっと、またいつか。
あー、ツアー恋しい病が悪化したっ!!
FAR EAST CAFE PRESS vol.220 より一部引用
11/26、27 東京ドーム感想&MCレポ →
12/6 ナゴヤドーム・曲順あり詳細語りレポ →
12/20 京セラドーム大阪・怒濤のツアーファイナルレポ →