September20 [Wed], 2006, 20:38
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シャンパンで乾杯~!
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今日、9月20日は小田和正さんの59歳のお誕生日です。
カフェでは、色紙にお祝いメッセージが記入できて、小田さん本人に渡してくれるそうで。きっとにぎわったことでしょう。
自分だったらなんて書こうか、あれこれ考えたけど、これだなっ。
「祈・デスマッチ優勝 」
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2000年『個人主義』、2001年『LOOKING BACK2』
2002年『自己ベスト』、2005年『そうかな』
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ツアー2000『SAME MOON!!』。八景島カウントダウンライブ。
トーク&ライブ。
ツアー2002『kira kira』。
早稲田。大阪。富士急。たくさんのライブ出演。
アジアツアー。
ツアー2005『大好きな君に』。
夏の野外フェス。
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2001年『クリスマスの約束』スタート。もし今年あれば6回目。
2004年は3ヶ月間のレギュラー番組『風のようにうたが流れていた』。
これぜんぶ、2000年になってからわずか7年間の出来事。
50代になってからの小田さんはすごいなあ。
こんなおめでたい日に、めでたくない話で恐縮ですが。
誕生日のたびに思い出すのは、1998年夏の出来事。
もう思い出したくもない、という方は、この先は読まないでください。
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1998年7月22日、デスマッチの前日。
小田さんが高速道で事故。
突然、職場に友人から電話がかかってきて、事故の一報を知った。
受話器を持ったまま、文字通り、目の前が真っ暗になった。
デスクが見えなくなった。頭の中でガンガンと激しい音が響いた。
少しして「重傷だけれど命に別状は無いって!」と。
安堵で、初めて涙があふれてきた。
トイレに駆け込んでわあわあ泣いた。
生きていてくれて本当に良かった。
ほんとうによかった。
音楽をやめてしまってもかまいません。
どうか元気で。ただ元気でいてくれれば。
それだけでいいです。
ぐずぐず泣きながらずっと祈り続けていた。
怖くてテレビのワイドショーは見れなかった。
ネットも公式ページ以外は見なかった。
電話のインフォメーションが素早くアップされていて、どれだけ慰められただろう。
小田さんが無事退院したと知り、ようやく心も落ち着いてきて、しばらくたった頃にプレスが届く。
小田さんの書いた文章を読んで、心底ほっとする。
「フナが恐い顔をして降りて来るのが見えた。」
「何を言っても吉田は帰らないだろうと思い、もう何も言わなかった。」
大丈夫だ。
小田さんにはたくさんの心強い味方がついていたんだから。
前後が大破したセルシオの写真にぞっとし、見えない力が小田さんを守ってくれたんだなと思う。
包帯を巻かれ、おとなしくしている小田さんの写真は見るのが辛く、
でも努めて明るい表現で書かれている記事に(救急車で病院についてから、ようやくデスマッチ参加をあきらめた、とか)精一杯ファンを安心させようとしてくれてるのが伝わってきて、また泣いた。
9月12日に予定していたスタレビとのイベント、10月ドラマ主題歌のレコーディング。
「やるよオレ、全部やる。」
退院して一月半もたたないのに、ライブなんてそんな無茶な。
でも無茶を承知でやってのけて、とびきり笑顔の小田さんを、テレビのワイドショーで見た。
「みんなの心配が、とっても嬉しかったです!」と。
私が小田さんに会えたのは、それから2ヶ月後の慶応大三田祭ライブ。
ギターを換える時にスタッフの手を借りていて、客席でハラハラすることもあったけど。
すっかり元気になった小田さんがそこにいて、ただただ嬉しかった。
そのうち、ギターもうんしょ、と自分で換えるようになり。
ゴルフもさっさと再開し(笑)
今じゃ花道走ってますが(わっはっは)
当時小田さんが書いた文章を引用させて頂きます。
(『SAME MOON!! 』ツアーパンフより)
(前略)『あちこちから手紙をもらった。痛む手で開けて読んだ。そのすべてに「生きていてくれて、ほんとうに良かった」と書いてあった。涙が溢れた。改めて事故の意味を、愚かしさを思った。自分の作ったものが、自分がこうして生きて来たことが、皆の心の中にそれぞれの想いとともに残っているということ、これから生きて行く先を見届けたいと思ってくれているんだということに言葉を失った。』(後略)
50代になってからの小田さんが、
ますます自分に厳しく、時に頑張り過ぎるのは、
あたかも修行僧のような風貌に見えるときがあるのは、
ファンの気持ちや期待が重すぎるから?と思うときがある。
まあ、重いだろうなー(自覚あり)
だからこそ。
感謝の気持ちを忘れないでいよう。
小田さんに。小田さんの音楽に。
小田さんが元気でいることに。
そして、これからもずっと、元気でいてくれれば。
それだけでいいです。ただそれだけで幸せです。
お誕生日おめでとうございます。