さらさらサラダ記念日(笑)に…

October31 [Sun], 2010, 14:05

 あきさんからいただいた、
NHK名古屋10/27放送「さらさらサラダ」ヤスさんゲストの番組レポはこちらです→

 “君が手紙を書いたから10月27日は「さらさらサラダ記念日」”(@kikaseteanata さん命名)
思いっきり字余り~/(^o^)\(笑)

私が、初めて、生で小田さんの口から「ヤス」という言葉を聞いたのは、
忘れもしない(笑)2000年の8月31日、神奈川県民ホールでした。
地元横浜での、三日間公演の最終日です。
2005年にも一度、ブログに書いてますが… 



 当時の、自分の小田さんコンサート日記(笑)から…

【ライブMCメモ(2000年8月31日)】

「小田さん:もしコイツと会わなかったら、音楽やってなかったかもしれない。こうして歌ってなかったかもしれない。

鈴木康博というヤツ。

音楽的に非常にすぐれた才能があって、ソイツと一緒に、
あと地主って言うヤツも一緒に、音楽を始めて、
で、ずうっとやることになって。

それでも続けていけるなんて思ってなかったし、
オフコースの時もいつやめてもおかしくなかったし…

それでソロになって、
俺、音楽続けていけんのかなあ、とか思ってたら、
園山とか栗ちゃんと、当時の最初のバンドメンバーでしたけど、出会って、
これでやっていけんのかなあと思ったりして。

『たら、れば』っていうのはたいていあそこで、こうしてなければ…
と、ゴルフとか、わりと悪いことが起きた時に思ったりするものですが、
俺なんかの場合は、あそこでこの人と出会ってなかったら、俺はどうなってたんだろう?
こうして今歌ってなかったかも知れない。っていうのが多いですね。」

…7曲目は ” my home town “。
今まで、このツアーでは演奏していなかったはず。

あのMCのあと、一曲はさんで、この曲のイントロが始まった瞬間、まわりみんなが息をのんだ。
あんな言葉のあとで歌われたら、どうしたって鈴木さんのことを思い浮かべてしまう。

ここで夢を見てた この道を通った
できたばかりの根岸線で 君に出会った

今まで、こんな風にコンサートで鈴木さんの話をしたことがあったろうか。
小田さんは本当は、もう一度昔のように鈴木さんと音楽をやりたいのかもしれない。たとえ一度きりでも。
神奈川県民ホール、最終日。
共通の友人もたくさん来ていたろうし、きっとこの日のMCは確信犯に違いない。

この頃は…まさか小田さんから、ヤスさんの名前が出るなんて思いもよらなかった頃で、
すんげえ衝撃だったんだろうなー(笑)
日記の文面が、熱い!

(笑)

あれから、10年の歳月が流れて…

小田さんはすっかり、ステージやクリ約で「ヤス、ヤス」連呼してるし

ヤスさんのライブでも、小田さんの話題が出ることがあって、
観客もにこにこ、ヤスさんもにこにこ

きっと何かしら、やりとりはあるんだろうな…と…

でも、こんな風に、公の場で直接、どちらかがどちらかに働きかける、ということは
まったく予想もつかないというか…
正直、もう無いかも…とさえ思っていました。

風が吹いた。

どんな力、タイミングが働いたのか、まるで、
ふわっと、予期せぬ風のように、その時がやってきた、という感じです。
気づいたら、もう風は吹いていた。

誰も予想しなかった形で、28年の歳月を、軽々と超えてきた。

小田さんの声が、聞こえる気がする。

…「どうだ、まいったか!!」

参りました。28年、ずっと待ち続けてきて良かった。

あの頃の、幼かった自分に言ってやりたいものであります。

自分の信じた人たちだから…大丈夫。
信じて、待ってなよ!!と。

今、ヤスさんの最新アルバム「WITH」を聴いています。

青春を分け合った友は 一生の友という

・・・

君と歌った歌が 今はたまらなく懐かしい

という歌詞が、耳に飛び込んできて

ヤスさん曰く、大学の友人のことを歌った歌だそうですが…
小田さん宛の手紙、を聴かせてもらったような
そんな気がしました。

「時計台の下で」作詞・作曲 / 鈴木康博