「風のようにうたが流れていた」のは


そうかな10「風のようにうたが流れていた」

July02 [Sat], 2005, 19:57

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そうかな / 小田和正(2005年)

「風のようにうたが流れていた」(10曲目)

私に風のように流れていたうたはオフコース。風というよりは、砂嵐のような激しさだった、今にして思えば。
最初に自分で買ったLP。最初に友達と行ったコンサート。
チケットを取るために、何時間も公衆電話をかけ続け、真冬の屋外に徹夜で並んだ。
部活の夏合宿の夜、持ち込んだラジカセでオフコースをかけながら、夜更けまで友だちと喋る。次の朝のランニングが眠くて辛い。

2004年の秋から冬にかけて毎週月曜深夜に放送されていた、「風のようにうたが流れていた」。
エンディングはこのテーマ曲を弾き語りで歌うことが多かった。

出会いも 別れも 知らぬままに 流れるうたをきいていた
なぐさめられて はげまされて そして夢をみた

画面にその日のテーマに沿った写真が何枚も映し出される。
オフコースがテーマだった第8話と9話、メンバーみんなの姿が映った時は、さすがにぐっときた。
その写真の向こう側、映っていないところに、かつての自分達がいる。

あの夏の空 きらめく海も 忘れかけてた 青い恋も
そしていちずにときめく心も 昨日のことのように

(「風のようにうたが流れていた」)

第9話で語られた、オフコースの終わり。
オフコースを学校に通っているような毎日、と例えた小田さん。
「学校ですから、やがて卒業していくときが訪れます。今ぼくは、オフコースの解散をそんなふうに解釈しています。」
オフコース最後のライブは東京ドームだった。
「その時のファンの人たちの声は今でもよく覚えています。
では、これはオフコースを想って作った歌です」 
完全版DVDでは、そのあと「あんまり、しんみりしないでください」と小さく微笑んでいる。
そして、「NEXTのテーマ-僕等がいた-」を歌い始める。
はい小田さん。しんみりなんてしてません。
ぼろ泣きじゃ。うわああああああーん。

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ツアーグッズ届いた、プレス来た

June30 [Thu], 2005, 21:40

Kazumasa Oda Tour 2005 “大好きな君に”

オンラインショップで注文していた、小田さんのツアーグッズが届いた。ちゃんと「そうかな」ジャケットがプリントされたサービスバッグも入ってる!

パンフを読む。すごい読みごたえあり。熟読。毎回ツアーパンフって充実してるよなー。前回のツアーから今回まで3年間の出来事が、走馬灯のようによみがえる。パラパラマンガもちゃんとある(笑)
楽しみにしていたトランポミニカー。かわいい…

as close as possible ツアーのミニカーは後ろ扉が開いたが、今回は真横から大きく開く。ツアートラックも進化してるんだね。
ボールペン3種類。Tシャツ2種類。こりゃかわいいな。会場でグレーも買おう。
オルゴールコレクションまた増えた♪
タオルは重宝するよなーもう一枚くらい買っとくか?
メールブロック&クリーナー、のぞかれても現在の待ち受け画面は小田教授ですし。
さて、K.ODAミニフィギュア付き携帯ストラップはどうかな?わくわく…

スナフキン??

さ、プレスのインタビュー読もう。今月はチケ先行もある!

そうかな「まっ白」「静かな場所」「正義は勝つ」

そうかなメモその6「まっ白」とクリスマスの約束

June25 [Sat], 2005, 17:13
まっ白 / 小田和正(2004年)

「そうかな」1曲目に収録

2004年、2月29日付日経朝刊のインタビュー。
小田さんは「日本人が誇れる音楽文化を作るのが使命」と語っています。
3回の「クリスマスの約束」を終えた2ヶ月後。

2001年。小田さんが「いいな」と思ったアーティストの歌を7曲選び、「クリスマスの約束」という番組で一緒に歌って欲しいと直筆で手紙を書いたのに、全員に断られ、結局ひとりで歌うことになってしまいました。
しかし、とっても良かった!今まであまり聴かなかったアーティストの歌も、こんないい歌だったんだ。と思ったです。小田さんによって、あらためてその歌の持つ魅力に気付かされました。
小田さんは「ものすごい練習した。楽曲の深いとこまで掘り下げて。」とゆってた。楽曲に対する敬意が、ちゃんとこちらに伝わってきました。
その中に Mr.Children の
「Tomorrow never knows」
がありました。

放送後、番組を見た桜井氏から手紙が来ました。手紙には、出演を断った理由(TV局への不信感とか・笑)のほかに、「僕達の音楽はもうつながっています。つなげてくださったのは小田さんです」と書かれていたのです。
誰も来てくれなくてちょっぴり傷付いていた?と思われる小田さんでしたが、その手紙に励まされ翌年も番組をやる決心を!

2002年、2回目のクリスマスの約束で、桜井氏からのその手紙を紹介した後、
Mr.Childrenの新しい歌、「HERO」をピアノで歌いました。
これがとにかく圧巻でしたねー。
わたくしいたく感動してしまいました。
当時桜井氏は体調を崩し療養中、小田さんなりのエールだったと思います。

そしてついに2003年、3回目のクリスマスの約束で、桜井氏がゲストとして来て、お互いの曲を共に歌ったのです。

「この国で僕らのような音楽をやってきた者にとって、今大切なことは、同じ時代をともに生きるアーティスト同士、お互いの音楽を認め、愛し、尊敬しあうことではないか」との趣旨でスタートした番組も、3年目でひとつの結果を出した。
遡って1982年。
5人でのオフコースの活動を休止した後、小田さんが日本グラミー賞の設立を試みたことがありました。
TIME CAN’T WAIT / 小田和正 著 朝日新聞社 より)
純粋に素晴らしい楽曲に対して、アーティスト同士が認め合い、讃え合う。そんな場が日本にあったら。
結果は見事に挫折したと記されています。

時は過ぎ2003年、そのときの、20年前の思いが形を変え、
「クリスマスの約束」として我々に届いた。
そして、この2003年の「クリスマスの約束」を終えてからすぐに発表されたのが「まっ白」。

それでもまた始まろうとしてる その時を待っていたように
愛はとまどうふたりの なにもかも まっ白にして
(「まっ白」)

「まっ白」、というタイトルは、その時の心境が反映されてるのかなとも思う。
ドラマの主題歌で、「許されざる恋の始まり」がテーマだと思いますが、考えようによっては「叶わぬ想い、憧れ」が「始まった瞬間」を切り取った歌のようでもあります。
まっ白な、はじまり。
そこに「日本人が誇れる音楽文化の始まり」を見るのは、わたくしのこじつけではありますが。

決して歌詞をど忘れした瞬間のことではありません…たぶん。

「まっ白」 作詞・作曲・編曲 / 小田和正 より歌詞一部引用

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