まだまだ語る「居酒屋の星野仙一」その3・あの一球

February05 [Sun], 2006, 0:13

2006年1月26日(木)NHK-BS2で放送された
「居酒屋の星野仙一~ゲスト・小田和正 in 名古屋」。

■1989年10月、名古屋ドームの星野監督を訪ねた小田さんのビデオ。
当然ながら若い…オフコース解散後、42歳。
しかし、監督に向かって「いやあ、楽しみにしてますよ」って。
今とまったく変わらない口調は…若くない(笑)

名古屋ライブでの「たしかなこと」が流れ、
83年、星野氏の現役引退のシーン。
小田さんが花束を渡した、というところは流れなかったけど。

「『燃える男』の名に恥じないよう、全身全霊をマウンドに捧げて参りましたが、ここに燃え尽きました。」
マウンドを去る星野投手の姿…

うおー。感動です。。

■再びレインボーホールのステージ。
「引退すること」について、突っ込んだ質問のあと、

小田さん「自分の野球人生で、あの一球がなかったら…あの何とかがなかったら…、自分の人生は変わってたかな、みたいなのって、ある?」

星野氏「いや、ないね。」小田さん「(すかさず)ないよね。」(客席笑)
「それ考えたらキリがないもん。」
「たぶん、ないんだよ。」
「いっぱい打たれてるもん。」(小田さん、客席笑)

「でも、そんときはさ、その日は、その夜なんかは『あの一球』ってやっぱ悔やむんじゃない?」

「ああ、歌じゃないけど眠れない夜があったよ。」(客席笑&拍手)

(監督時代は悔やむことが多くて、特に自分が間違った時は悔やんだ。)

「素直に謝ることを覚えたよ。お前と違って」(客席笑)
「何を言ってるんすか!(笑)私は謝りますよ。」
「そう?」
「時々ね。へへ。たまーに、か」(笑)←たまに?

「俺ねやっぱりね、たぶん、一生懸命生きてきたら、あの一球って、そん時は悔やむけど、たぶん同じ結果を出してるんだ。相対的に見ればね。
だよな…と思ったよね。うん」 

小田さん、ちょっと嬉しそうな感じ。
一生懸命、生きてきたひと同士の会話。

一生懸命、生きていれば、
あのとき、こうしていれば…と悔やむことはたぶん無い。
きっと同じ結果にたどり着いていたはず。

ライブのMCで、小田さんが言っていた。うろ覚えだけど。

「『たら、れば』って、ゴルフなんかではよく思うけど、後悔するような意味で思うことはない。
むしろ、もしもこの人と出会えてなかったら俺はどうなってたんだろう、と人や物事との『出会い』を感謝する意味での『たら、れば』ならあるけれど。

大豊さんのお店。

ステージでもっと野球の話をしてくれよ。名古屋ドーム満員にならないよ。
と、「この人(星野氏)のせいでしょう!」
言いにくいことを、ズバッと言う小田さん(笑)

■建築家の勉強をしていて、音楽の道を選んだ話。
それぞれ50パーセントの可能性から、結局音楽を選んだのではなく、
今日ステージで「後悔してる一球はないか?」ってきいたけど、ほとんど100パーセントに近く、音楽を選ぶことになってたんだね、と。

「迷わなかった?」

「迷ってはいたけど。それは迷ったような雰囲気だっただけで。
今日『一球』ってきいたように、そうやって道はもう自分で、
(星野氏に)お前決めてるだろう?って言ったように。
決めてんだよ。
たぶん決めてたんだと思う。」

「迷う、てのはだいたい決めてんだよ。」
「そうだね。」
「だから迷うのよ。」
「うん、そうか」「うん。」

「だから、大学院なんか行ったようなフリしてたけど」(ふたりで笑う)
「あれはもうただ伸ばしてるだけで。いつかそうなったんだね。」

■同窓会でいろいろと建築関連の話をきくと、
「けっこう自分の中での幅が。音楽だけをやってきたんではない自分、ていうのが、とっても面白いし。ああやっぱり勉強してきて良かったなあと。」

■建築の勉強が音楽に与えた影響は?
「何も無いところから、創る。という作業は一緒だからね。」

■修士論文の発表の場、教授がいっぱい居る所で、建築学会賞をとったその建物を批判。←なんておそろしい…

たぶん自分に対しても苛ついてたんだろうね。とっても中途半端な気持ちだったんだと思う。
学問としての理想と、現実との違い。
建築の世界での自由度の低さ、が我慢できなかった。

■そうはいっても、音楽で生活してくことは、大変なこと。そういうプレッシャーはなかったのか?という問いに。

建築のことはあれこれ考えたわりに、そのことはあまり考えなかった。
「音楽好きだな。」っていう、それだけで、よくやったな。

燃える男・星野氏「好きを通り越して、音楽を愛してると思うわ。
だから『変えよう』、という発想も生まれてくるんじゃないか、と思うんだよね。
音楽の世界でもそうじゃない。オフコースから始まって。
なんかこの、ミュージックというものを変えていったような、気がしてしょうがないんだけどな、俺。」

おだっち「ま、自分の口からはそういうことは言えないけども…」

(↑ いつの間にか腕組みをほどき、ちんまりと座ってる・笑)

「いやいや、俺は感じてるのそうやって。」←熱い!

「俺なんか、黎明期ってゆうかさ、まだそういう音楽が、なかった頃。
だからいろんな…こうやってかき混ぜたりできたし。
レールも敷かれてないし。
そういう時代を生きれたのはとっても幸せだよね。

今の連中はやっぱりさ、レールがあるから。それにわりと乗ってくっていうかね。
その…通って来た人がいるから。
それはちょっと。それで楽をする人もいるかも知れんけども。

その、通ってきた道を振り返った時には、最高の思い出ばっかりだもんね。
もう、あんなこともやらされた、みたいな(にやり)」

「でも、その、レールを造ったのが、団塊の世代なんだよな。」
「そうなんだろうね。」

小田さんは右手で左の肩を押しながら、言葉を探すようにして話す。
話してる時に、たまに見る仕草。
ジェットコースターから飛び降りたときに(夢ね)打ったとこ?
それとも肩こりなのか?

レールのない時代を、歩いてきた。
振り返ったら最高の思い出ばっかり、と語る小田さん。

今もなお、レールのないところを歩き続けていますね。

「the flag」に続く。→