一つ前の記事 小田和正ソロ夏うたプレイリスト・2013年改訂版→
から、ご質問というかリクエストをいただいたので、ちと補足的な追記を。長いです(笑)
お時間ある方のみ、どうぞ
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夏うたプレイリストの10曲目「woh woh」について。
2002年のツアー『kira kira』の最終日は、真夏の名古屋でした。
確かな ことなど 今 何も ないけど
ほんとうに 大切なことは 君が 教えてくれた
突然歌声が途切れ、涙を隠すようにうつむく小田さん。
ツアー終了後に、小田さんからのBBSの書き込みを見て、滂沱の涙でした。
絶対、一生ついてくと思った。それまでもそう思ってたけども。
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この、2002年当時の「小田さんからのBBSの書き込み」に関して、もう少し詳しく補足などを。
過去のBBS書き込みは見れなくなっていますが、
小田さんが書いた文章は、プレス又は次のツアーパンフレットに掲載されることが多いので
今も手元に残っています。
2002年5月にスタートしたツアー『kira kira』は、開始早々、
小田さんの体調不良により、米子、福岡、鹿児島の5公演が延期になりました。
それまでの激しい無理がたたって、風邪をこじらせ喉に炎症を起こしてしまったのです。
公演延期…どれだけ残念で悔しくてたまらなかったろう。
小田さんの言葉の端々から、悔しさが伝わってきて、ファンも辛かった。
以下、「大好きな君に」ツアーパンフレットから引用。
「Are you ready?」
何から書いていいのか分からないほど、頭の中でいろんなことが整理されずに混じりあっていますが、まず初めにもう一度お詫びとお礼をしなければいけません。迷惑をかけました。ほんとうに申し訳なく思っています。こんなことを言うと怒られそうですが、今回は遅かれ早かれツアーの途中で、あんなふうに、体が、声が言うことを聞いてくれなくなる日が来ていたのではと、時間が経つほどに思うようになりました。頑張るということしか考えて来なかったので、体を休めるということの必要性を、身をもって感じたことがなかったのです。
…(中略)…
興味を惹かれる仕事の依頼、手伝ってあげたい仕事、どうしてもやらなくちゃと思っていること。そんなことたちがどんどん重なってきて心も身体も動きが取れなくなり、結果がなかなか出せない。それが自分を責め始める。でも、ずっとそうしてきたから、自分を責めることで乗り越えてきたから、これを突破してこそ初めて激動と言えるんだ、滞っているだけではさざ波も立ちはしない。そこから身を引こうという気はなかった。しかし絶対量としてこんなに忙しかったことはなかったのか、体力が落ちたのか未だに判断はつきかねているけれど、結果としてみんなに迷惑をかけることになった。
…(中略)…
5月20日、福岡の「zepp」からツアーを再開することが出来ました。ありがとう。みんなにかけた迷惑を、どうすればぬぐい去ることが出来るんだろう、と思い巡らせましたが、同じ過ちを繰り返さないと決意するのが唯一の解決方法という考えに至りました。東北地方のツアーを終えて帰る時、30年の付き合いになるイベンター、ギルドの社長の奥さん窓子さんがいつものように仙台駅まで送ってくれて、ホームで「この前の『same moon』の時、今まででいちばんいいと思ってたけど、今回の方がもっと良かった。終わっちゃって寂しいわ」と言ってくれた。涙が出るほど嬉しかった。さらにそのまま、新宿厚生年金会館、横浜パシフィコと突っ走った。ライブでみんなの顔を観ていると、どれだけみんなが待っていてくれているか良く分かる。それが僕にとっての支えだから、なんとか期待に応えたいと思う。僕は思った、走れるうちはやっぱり走ろう。でももう、迷惑はかけないよ。最後まで、約束通りきっと精一杯「キラキラ」してみせます。待っていてください。
2002/06/18 小田和正
復帰後も、予防のため、毎日のように点滴を打ちながらのツアーだったと記憶しています。
小田さんの喉のアップ写真も公開されましたね。あれは衝撃でした
ご当地紀行ではスケッチコーナーもあり、体力的な負担は相当なものだったと思います。
秋には、追加公演が発表されるはずでしたが、それもなくなってしまいました。
いろいろあったツアーの最終日は、2002年8月18日、名古屋体育館でした。
「woh woh」の途中でふいに、涙で歌えなくなった小田さん。。
ツアーが終了した3日後、公式サイトBBSに、小田さんのメッセージが掲載されました。
「みんなが教えてくれたこと」
「客電がついて誰も帰らなかったらひとりで何か歌おう、何歌おうか」、舞台を降りた溜まりで、エンディングのC.Gの音楽をぼんやり聞きながら考えていた。絶好調とはいかなかった僕の声に気を遣ってか、「ロボコンのテーマ」が流れたせいか、みんなの拍手がスッとおさまった。「あー、終わった…終わったな」と確認するように自分に言いながら楽屋へ戻って行った。急に大きな拍手が聞こえた。すべてのスタッフたちが僕を迎えてくれたのだ。「なんだ、お前らステージのバラシあるんじゃねぇのかよ、こんなとこで何してんだ」と誰にも聞こえないような小さな声でつぶやきながら、みんなが両側から手で作ってくれた細長いアーチをくぐっていたら、折角ふっ切った涙がまたこぼれてきたので、そのまま自分の控え室へ飛び込んだ。オレはみんなに涙なんて見せたくないんだよ、ほんとうは。こんな意地悪でステキなスタッフたちがいるだろうか。その二時間ほど前、「woh woh」のワンコーラス目を歌い終えて、今回のツアー、いろいろあったけど自分なりに一生懸命頑張って、頑張って、やっと終わって行くんだなと思った時、自分の書いた次の歌詞が突き刺さってきた。「確かなことなど今何もないけど、ほんとうに大切なことは…」。まったく予想していなかったので不覚にも対処することが出来なかった。「あぁ、みんなに支えられてるんだ、大切なことをみんながまた教えてくれてる」、決してそれを忘れているわけじゃないけど、それがこみ上げてきた。歌えなくなって、止まった。そんなふうになるくらいなら、歌いたくないというくらいの気持ちで臨んでいるのに。どこへ行っても、来てくれたみんなの素直な笑顔があんなにあふれているツアーは経験したことがなかった。僕に応えてみんなが繰り返し何度も何度でも手を振ってくれたライブも初めてだった。体のことも、いつもいつも身内のように心配してくれていた。あんなに大勢のひとたちが「キラキラ!」輝いていた。「きっとキラキラしてみせる」と言った僕の約束を、みんなの想いがいつも乗り越えて行った。ツアー終盤を迎えて、「またきっと会おうね」と言いながら、この後「kira kira!」を越えることはもうほとんど不可能に近いかなと思っていたけれども、あんなにステキな笑顔でみんなが待っているなら、会いに行こう、また新しい時が流れて来るかも知れないと考え始めた。コンサートに来てくれた多くの人たち、来られなかったけどずっと応援してくれていた人たち、ほんとうに心からありがとう。
今だからできること決してそれを忘れないで
この時この二人 ここへは戻れない
2002/8/21 小田和正
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絶対、一生ついてくと思った。それまでもそう思ってたけども。
2002年の『kira kira』ツアーは、
これまでにないくらい、客席と小田さんの距離が縮まって、
嬉しくて楽しくて少しだけ辛い思い出と、「次」の約束を残して、終わっていきました。
もう11年前なんですね。ついこないだのことのよう
あれから『大好きな君に』『今日も どこかで』『きっと またいつか』
そして『どーもどーも その日が来るまで』…
ツアーをひとつ越えるたび、もっと小田さんのことが好きになっていきます。
以上、補足(長)でした。
Kazumasa Oda Tour 2005 ”大好きな君に” ツアーパンフレットより一部引用