中居正広さんのラジオでクリ約話−1

January08 [Sun], 2006, 18:50

土曜夜の中居正広さんのラジオ「サムガールスマップ」にて、
「小田和正・クリスマスの約束2005″大好きな君に”」で歌うことになった、その顛末話(前編)がありました。(2006年1月7日放送)
ナカイさんにとっても大事件だったのが、ひしひしと伝わって参ります。

その一部を、雰囲気だけですがまとめてみました。

■オファーは11月初め頃?「クリ約」「金スマ」共通のプロデューサーから直接あった。
最初に言われたときは真っ先にお断りさせてもらった。すいません。
もう意味がわからない。誰も理解できないでしょう。
僕が一番理解できない。
「申し訳ございません、全然ムリ、ムリムリムリ!!」

■が、数日後にまた言われる。
その時も「ムリだよ~」「わけわかんない…恥もかきたくないし…」。

■小田さんのアルバムは好きで、車に入れている。オフコースも好き。
クリスマスの約束は毎年ビデオに録って観るほど好き。

■普通、交渉はまずマネージャーにいくが、今回は僕にダイレクトで来た。
それでも「無理だ~」2度もお断りをしました。

■しかし、また次の日にプロデューサーが「どうですか?」と。
すでに断ったはずなのに???
「じゃあ、話だけでも…」となった。

しかし、一旦話を聞いてしまうともう断れない…

■「小田さんが、夜空ノムコウを、中居くんと歌いたい、と。言ってます。」

そのスタッフに「見える?小田さんのステージに、僕と二人で立ってるのが成立してるの、見える?」ときいたら、
「見えません!」「我々スタッフ一同、誰も見えてません!」
「構成は?」「二人で決めてください!」

「今回は真面目に歌ってください」「俺いっつも真面目だよ!」(笑)

■で、こんなに小田さんがダイレクトに言ってくださってるんで、
「そこまで言うのであれば…ちょっと見えないけれども…、やらさしていただきます…」
「じゃ、マネージャー通します」普通と順序が逆だよ(笑)

■それから、事務所のほうに話がいった。
しかし、当日は仰天ニュースの収録があり、間に合わないから会社的にやっぱりNGのところ、
小田さん側から「アンコールの一番最後まで待つから」と言ってもらえた。
そこまで言ってもらったら、もうホントに断れない。

出ると決めてからは、不安でしょうがなかった。 

(当日は、コンサート開始後わりとすぐに到着してましたよね。
『日テレ仰天ニュース・収録しながらナカイ輸送大作戦』のおかげだよ。
もう日テレさんにも足を向けて寝れません!
…でも汐留の方向がわからない!!←根本さんのパクリ)

■テンポやキーなど、スタッフを通して、いろいろときいてきてくれた。
たぶん、原曲キーが僕には高過ぎるんじゃないか、という優しさだったんでしょう。
僕がそんな音楽的なこと言ってもいいのかな?全て小田さんにお任せします、と。

「もし欲をいうならば、テンポを落としても(いいんじゃないか)とお伝えください」

■前日の月曜夜、会場でリハ。
挨拶をし、いろいろな話をする。
小田さんに「見えてますか?」ときいたら「よくは見えないな」といわれた。
「ダメだ(笑)やっぱりこの人も全然見えてないんだ…」
「見えない」ことほど怖いものはない。

■いきなり控え室でやってみることに。
歌ってみたら「いいよ」と言われたけどよくわかんない。
小田さんがいい、というならいいんだろうな~。

そしてステージに上がってリハーサル。
数回歌って、そこでいろいろふたりで決めていく感じ。「どうする?」みたいな。
「ここはこうこうこうで…」

■小田さんに「俺ハモるから」といわれ、
「僕はハモったらつられます!」
「大丈夫、コイツつられないから!」

何を根拠に言っているのか全然わかんない。

「大丈夫、お前つられないよ。」
「いや、つられます」
「だいじょうぶ、やればわかるよ。」

■リハには自分の車で行って、帰り道は小田さんが歌うのをずっと聴いていた。

■あがる、ということは最近はない。何万人のコンサートでも、大きい番組の司会でも。いい意味での緊張感はあるけど。
ここ何年もあがることがなかったのに、そろそろスタンバイ、という時に、
「これあがってんのかな~?」と。

■あがる、というのは自分が見えないとき。
想像もつかない、どんな武器を持って行けばいいのかわからない。
もう、カバンの中からありったけの「根性」「勇気」をポケットに詰め込んで行くぜ、みたいな(笑)

■この、あがってるのが、なつかしかった。
昔、光ゲンジのバックで、初めてステージに出た時のような。
初めてのレギュラー番組で、原稿を読むときとか、あがって読めないぐらい、いっぱいいっぱいなかんじ。
久しぶりにあがってるな~と思った。

■お客さんの数の問題じゃない。1000人、100人でもあがっただろう。

■いよいよ小田さんからゲストを紹介される。そのときのお客さんの反応がまず不安だった…いざ、ステージへ!

といったところで来週に続く!!

北側の出窓でしか、クリアに受信できないサムガ。
いつもサムガを聴くときは、ラジカセ(笑)を出窓の端に置いて、夜遅く、窓からくる冷気に震えながら、雑音と戦いつつ必死に聴く私。
窓の外から見えたら怖いだろーなー(大笑)だから部屋の電気は消して、暗がりの中で聴いてみる(笑)よけい怖いわ!

来週も楽しみであります。

名古屋ツアー最終日4・「Re」スタート!

January07 [Sat], 2006, 23:59

年が明けてもまだまだツアー話は続きま~す!

小田和正12月21日名古屋レインボーホール、ツアー最終日。

1・オープニング~だらだらコーナー途中までのMCはこちら→
2・だらだらコーナー~前半終了までのMC→
3・ご当地紀行→

なお録音機材は使用しておらずうろ覚えです。

えーと、どこまでいったっけ(読み返す)
後半スタート!からだ。
ご当地紀行の締めに「今日が最後、思いっきり盛上がって行きましょう!」と小田さんがゆったので、思いっきり弾けまくる!

「Re」
「正義は勝つ」
「Yes-No」
「キラキラ」

このとき、小田さんが花道の先端から、ちょうど自分のいるスタンドあたりを指差した。ドキッとするぐらいはっきりと。
自分のいる方を、しっかりと、見てくれた。

…と思ったひとたち、多数(笑)辺り一帯大喜び!!
きっと斜め前あたりにいた、男性の集団がノリノリで目立っていたので、おそらく彼らに向けた視線だと思われる(笑)いーなー(羨)
ま、おかげでこっちも盛上がりました~!

「YES-YES-YES」

ラスト、「あなたを連れて行くよ」のシャウト。
上に行きました!やったー!!

最後の音を、小田さんは、昔のように思いっきり力を振り絞って、
高々と声を張り上げて歌ってくれました。

ちょっと苦しそうだったけど
でも嬉しかったなあ。

「明日」

「僕ら」

ステージ周りの床から後方スタンド席にかけて、ステージを取り囲むように、小さなライトが散りばめられます。どうやったんだろ?!
スタンドから見下ろすと、広々とした光の絨毯の上に、小田さんだけがぽつんと浮かんでいるようで、とても幻想的でした。
武道館では「星空」という趣でしたが、この日は「どこかの星の上」といったかんじで…

「言葉にできない」

小田さんが歌い終わると同時に、客席は次々と立ち上がり、拍手を送り続ける。
小田さんたちがステージを去るまで、そして去ってしまってからは、アンコールを求めて。

拍手でしか、この気持ちを伝える術がないのがもどかしい。

この歌を次に聴けるのは、いつになるだろう。
次のツアーでも歌ってくれるかな。
そのときの自分は、この歌を聴いて、何を感じるだろう。 

さあ、一回目のアンコール!!
もう皆さん立ちっぱなしです!

「だからブルーにならないで」

一度でいいからフルコーラスで聴きたかったな〜。。

「またたく星に願いを」

今日は一段とノリのいい人が多い、とはうすうす感じていましたが、この曲の時のみなさんの弾けっぷり、なんだか昔みたいで懐かしかったです。
たのしい

「君住む街へ」
「大好きな君に」

ひとりと 思わないで いつでも

この歌がある限り、ひとりと思うことは無い、きっと。

「やっとたどり着いた…感動のアンコール!」に続く!→

「YES-YES-YES」「君住む街へ」作詞・作曲 / 小田和正 
より歌詞一部引用

名古屋、ツアー最終日の続き。年内に終わるのか?

December29 [Thu], 2005, 18:15

名古屋駅前のイルミネーション、12月21日。
ほんの一週間ほど前のことなのに、ずっと昔の出来事のような気もする。
”大好きな君に”ツアー、名古屋で迎えた最終日。
「クリスマスの約束2005」を暇さえあればリピートしながら、夏から冬にかけての今年のツアーに、思いを馳せております。
年内に感動のアンコールまでたどり着きたい…ムリっぽい…

小田和正12月21日名古屋レインボーホール、ツアー最終日・1はこちら。

「いつもにも増してだらだらやるコーナー」で、このツアーで初めて聴けて感激した「伝えたいことがあるんだ」。その続きからです。

録音機器は使用しておりません。うろ覚えで正確ではありません。

「黄昏のビギン」
「これ聴いたのはずいぶん昔ですけど、いろいろ思いました。
『こきざみに ふるえてた』こきざみに震えるんだー、ね。」
(「こきざみにふるえてた」がかなりツボだったご様子。)

「woh woh」

この歌を聴いたら、前回、2002年のツアー『Kira Kira』の最終日を思い出さずにはいられませんでした。あの時も名古屋でした。
小田さんはこの歌の途中、涙で歌えなくなり、一面の星空のようなライトの中で、じっとうつむいていたように思います。

このときの、キラキラツアー終了直後の小田さんのコメント。

いろいろあったツアーの最終日、自分の書いた「woh woh」の歌詞が突き刺さってきた。
「確かなことなど今何もないけど、ほんとうにたいせつなことは …」
(「みんなが教えてくれたこと」K.ODA公式BBSから引用)

小田さん自身に突き刺さってきた、という「woh woh」の歌詞。

ほんとうに 大切なことは
君が 教えてくれた

ぐぐぐ、と入り込んで聴いていたら、その部分(2番)は歌いませんでした。うう

「何話そっかな…(ネタ紙をごそごそ)これねー、ツアーが始まった頃に面白いなと思って書いたんですけど、なかなか披露するタイミングがなくて。最後なんでこのネタいきます(拍手)

私は飲食店で食事するのに違和感があるんですよ。で、なんでかっていうと、子供の頃僕は金沢文庫に住んでまして、家が『小田薬局』で。
その隣が雑貨屋さんで、そこにちいちゃん(?)ていうちょっと年上のお兄ちゃんがいたんですよ。よく遊んで、かわいがってもらって。

で、子供だからいつも腹減ってるでしょ、隣のうち遊び行くと、いつもなんか食わしてくれる。いろんなもん食わしてくれるわけですよ。うまくてね。

ところが。ある日突然、そこは雑貨屋から飲食店になったんです!

そうしたら、いつもみたいにモノ食べたら、なんと、

金払わなきゃいけなくなって。(爆笑)

…あれ?って。こないだまでタダで食えたのに、今日からはお金払うんだって。(笑)もちろん行って食べたらお金ちゃんと払いますよ。無銭飲食はしませんでしたけど。

まあそんな体験がトラウマで(笑)飲食店がどうも…」

「昔、70年代の若い頃に作った歌は暗かったです。若い頃っていうのはとにかくいろいろ深刻に考えるんだよね。」
(ここで「ひとりで生きてゆければ」最初だけ弾き語り)

♪君にも 愛にも 疲れてしまい

場内思わずため息。
と、

「君にも愛にも疲れてしまい、ってねえ。言われた方はたまったもんじゃないと思いますが」(爆笑)

「次やる曲も深刻な(真面目な?)歌なのに、笑いの雰囲気になってしまいましたが…」

「生まれ来る子供たちのために」

小田さん、かなり入り込んで歌っていたせいか、演奏を止めてやり直し。
顔を両手で覆います。

もう一度最初から。
ああ。感動です。

「LET IT BE」

「昔コピーしてよく歌っていた頃は、あまり歌詞の意味も考えなかったですけど。今だからこそ、じっくり考えて歌うと、なかなか…ね。
あるがままに。あるがままに。」

(あちこちからの「小田さーん」という声援に)

「ん?俺耳栓(イヤモニ)してっから聞こえません」(笑)
「小田さん、て呼ばれたらどうしたらいいんでしょうね?昔は平気で無視してましたが(笑)最近、やさしくなったから(笑)どうしましょう。
まあ一生懸命歌いますよ。」

「風のようにうたが流れていた」

「さっき久しぶりに明治安田生命のコマーシャル流れたね。(コンサート開始前にスクリーンに流れた)自粛してたですけど。
歌にはいろんな運命があって。この歌にはいろいろありますが、
今日は、スタッフのために歌いたいと思います。」

「たしかなこと」

2番の「自分のこと 大切にして」から、スクリーンにスタッフの顔がひとりひとり映し出される。おそらく仕事中のワンショット。

わたしはスタッフでも何でもない一介のファンに過ぎませんが(当然です)小田さんの歌を聴きながら、スクリーンの中の彼らの姿を見ていたら、涙が止まらなくなりました。

コンサートツアーを観に行く、っていうのはただその場で小田さんが歌って、ファンがそれを聴いてるだけのものじゃない。
ひとりひとりの熱い気持ちがぎゅっと集まって、もっと大きな力が生み出される、奇跡のような時間を共有しに行くのだと。

なんて幸せなことだろうと思いました。

年内最終更新・ご当地紀行へ!まだまだ続きます。→

「黄昏のビギン」 作詞:永 六輔 / 作曲:中村八大 より
「woh woh」「ひとりで生きてゆければ」「たしかなこと」
作詞・作曲 / 小田和正 より歌詞一部引用