August18 [Thu], 2005, 10:58

8月16日・17日と小田さんパシフィコ横浜でコンサートだった。
いいなあ…
留守番組の寂しさを忘れるため、横浜での小田さんコンサートの思い出話をつらつらと。
2000年8月、小田和正ツアー2000・SAME MOON!!
神奈川県民ホール3日間の最終日。席は2階最後列。
その日のMC、あまりに感動して日記に記録してた(笑)
以下当時の小田コンうろ覚え日記(笑)より。↓
「小田さん:もしコイツと会わなかったら、音楽やってなかったかもしれない。こうして歌ってなかったかもしれない。
鈴木康博というヤツ。
音楽的に非常にすぐれた才能があって、ソイツと一緒に、あと地主って言うヤツも一緒に、音楽を始めて、でずうっとやることになって。
それでも続けていけるなんて思ってなかったし、
オフコースの時もいつやめてもおかしくなかったし、
それでソロになって、俺、音楽続けていけんのかなあ、とか思ってたら、園山とか栗ちゃんと、当時の最初のバンドメンバーでしたけど、出会って、これでやっていけんのかなあと思ったりして。
『たら、れば』っていうのはたいていあそこで、こうしてなければ…
と、ゴルフとか、わりと悪いことが起きた時に思ったりするものですが、
俺なんかの場合は、あそこでこの人と出会ってなかったら、俺はどうなってたんだろう?こうして今歌ってなかったかも知れない。っていうのが多いですね。」
今読み返しても感動いたします(じーん)
ついでに、当時のわたくしの心もよう(笑)↓
「7曲目、 ” my home town “。今までこのツアーではやっていなかったはず。
あのMCのあと一曲はさんで、この曲のイントロが始まった瞬間、まわりみんなが息をのんだ。
あんな言葉のあとで歌われたら、どうしたって鈴木さんのことを思い浮かべてしまう。
ここで夢を見てた この道を通った
できたばかりの根岸線で 君に出会った
今まで、こんな風にコンサートで鈴木さんの話をしたことがあったろうか。
小田さんは本当は、もう一度昔のように鈴木さんと音楽をやりたいのかもしれない。たとえ一度きりでも。
神奈川県民ホール、最終日。共通の友人もたくさん来ていたろうし、きっとこの日のMCは確信犯に違いない。」
いやもう街は大騒ぎさ!ってな勢いで綴られています(笑)
当時は、コンサートで鈴木さんの名前が出ただけで大事件だったんだなー。
それから4年後の風うたでは、小田さん「ヤス、ヤス」って楽しそうに言ってましたけど(笑)
日記の続きから。
「オープニングの「忘れてた 思い出のように」の大サビで、
小田さんがステージの前方に出て来るのと同時に、ライトが客席を明るく照らした瞬間。
2階席のいっちばん後ろで、思わずきゃー!!と我を忘れて立ち上がり、思いっきり両手をぶんぶん振ったら、小田さんがこっちを見て手を振り返してくれた!!」
…この辺はだいぶ願望が入ってるようですが。
とっても感動し充実したコンサートであったことが、ほとんど支離滅裂に、長々と書き綴ってありました。
5年前となんら変わっていない自分にもびっくりさ。
ちなみに日記によるとこのコンサート終演後、タクシーでランドマークタワーまで行き、ロイヤルパークホテルの54階で、港の夜景を見下ろしながら、ルームサービスとって乾杯!
…とかしてました(遠い目)
冒頭の写真は、このとき54階の部屋から撮った夜景。たぶん。
るすばんの悲哀が目にしみる。

「my home town」作詞・作曲・編曲 / 小田和正 より
歌詞一部引用