小田和正8/24「ザ・ワイド」レポ1「言葉にできない」はどう生まれたのか

August25 [Thu], 2005, 12:48

8月24日、小田和正「ザ・ワイド」草野対談、文字起こし~はふ。
30分近くあり、今までの情報系番組より突っ込んだ感じで、なかなか見応えありました。
以下、放送されたものとまったく同じではありません。

17日パシフィコ横浜、「言葉にできない」を歌う小田さん。
「Yes-No」「さよなら」「ラブ・ストーリーは突然に」

会場のファンに聞く。小田さんの人気の秘密は?
40代女性「声が好き。他にあれだけはまる歌手はいない」
50代女性「青年らしさと、大人の魅力がある」
18歳女子高生「最初は歌だけが好きだったんだけど、DVDとか観てるうちに小田さんを好きになっちゃって」

過去のご当地紀行が一部流れる。
大雨の仙台「さて皆さん、なんのバチが当たったんでしょうか?大雨になってしまいました!」
ハスキー犬に近づき「狼か?」(いきなり吠えかけられ)「うわあ!(びくぅ!と後ずさる)えへへ(笑)」

50歳を過ぎて、ファンとのふれあいを何よりも大切にするようになったという小田さん。

ナレーション:自分自身について、これまで決して多くのことを語ることのなかった小田和正が、ザ・ワイドの草野仁キャスターと、1時間に渡って対談。音楽と人生を語り尽くした。

(字幕)「草野対談8・小田和正57歳”美声”の秘密」
「対談60分・あの名曲誕生秘話…、”九死に一生”の出来事」
♪じゃかじゃかじゃーん!(盛り上がる音楽!)

…ってまるでワイドショーみたいだにゃー(ザ・ワイドです)
8月17日パシフィコ横浜でのコンサートの後、草野仁さんがインタビュー。草野さんは小田さんのライブを観たのは初めてだそうです。

(17日のライブ映像。ツアーの内容が紹介される。
「たしかなこと」・「キラキラ」を歌い、観客の手にタッチしながら花道を激走する小田さん。客席の草野さんも映る)

(パシフィコの、海が見えるロビー。夜景がきれい。ライブ終了後の小田さんが向こうから歩いてくる)

草野さん(以下、草):どうも今日は本当におつかれさまでございました。ありがとうございました。
お疲れのところ申し訳ございません。

小田さん(以下、小):いえいえどうも、わざわざ。よろしくお願いします。 
(がっちり握手をかわし、椅子に案内される小田さん。席につくと前の方を見て、笑いをこらえるような顔をする。知り合いでもいたのかな?)

草:どうぞよろしくお願いします。
小:よろしくお願いします。

草:今日実は、小田さんのライブわたくし初めて見せていただきまして、(小:はい)驚かされたことがいっぱいあったんですよね。(小:そうですか)まずその第一は、なんといっても小田さんの声です。
歌い始められてから、3時間経っても、少しもお疲れになるどころか、時間の経過とともに凄くパワフルになられて、艶が出て。あー、すごいなー、とつくづく。まず第一にそれを感心させられました。

小:恐縮です。(ぺこり)

草:こんな表現はないんですけど、私勝手に、”アスリート・アーティスト”と、(小:えへへ(笑))尊敬の念をこめて、感じたんです。(笑)

小:そうかもしんないですよね。
僕もその、中途半端にジョギングみたいに走ってもね、気持ちが来ないから、やっぱり。短くても全力で走りたい、みたいな。
歌ってんのに走って何になるんだ、と言われるかもしんないけど、なんか今そうゆう…うん。

草:小田さんは昔から、声変りをしてないと言われましたが、自分自身で自分の声帯みたいなもの、どんな風に他の人と違うと?

小:いや…今大事にして、喉いつも診てもらってる先生がいるんですけども、変わった声帯だねって言われたこともないし…よくわかんないっすよねえ。
だから、多分声変りするときって、オクターブまんま低くなるんで、声帯が倍に伸びるって言う話を聞いたことあるんですけどね。
僕はでもその、歌を歌うのに、すごく適した喉ではないんですよ。ただ、いざっていう時に高い声が出るっていうその…その一点。
なんで出るのかもわからないし。
ホントに、自分で言うのもなんですけど、
「これ出るのかなあ?」って、音合わせの時とか。
それが本番になると「ウワァー」(手振り)行くんですねえ。他人のように。

(”THRU THE WINDOW”より「愛を止めないで」、17日ライブより「言葉にできない」、ドラマ「たったひとつのたからもの」のシーン。「言葉にできない」の誕生エピソードは?)

草:「言葉にできない」この前後のところもできていくのはどんな感じだったんですか?

小:それは…いちばんはね。歌詞書くのとってもヤだったんですよ。
当時は、その、全く違う切り口でいかないと、マンネリみたいにやっぱり言われるし。また自分でも、またおんなじこと書いてるな、またおんなじ言葉が出てくるな。で、どんどんどんどん自分を追いつめてってたから、もう歌詞書くの大変だったんですよ。
イヤだなー、言葉がなくて歌書ければいいなー、って思ってたんですよ。

そしたら、言葉のない歌書けねえかなと思って。
それで、その「la la la …」ってゆうね。それはもう、そういう苦し紛れで始めて。
したらそこに、「la la la …」ってのは言葉がないんだから、言葉にできないっていう感情を歌えばいいんだ、みたいなことで。
それにはどういう気持ちがあるだろう。
それはやっぱり、嬉しいこと。哀しいこと。悔しいこと。みたいのがあるなあと。

僕が嬉しいのは、それはもう20年、20年以上前、30年近く前の。
(「言葉にできない」は1981.12.1リリースの”over”に収録、1982.2.1にシングルカット)
そこでまあもちろん、ファンの人たちは喜んでくれたけど、
それをまた、何年もたって、それを取り上げてくれた人がいるっていうのがね。そういう人たちがいてくれるっていうことが、とっても自分には幸せだったですね。

草:わたくし個人的なことでごめんなさい、「woh woh」っていう曲すごく好きなんですね。

小:競馬の(笑)(草:そうなんです!)

(なつかしい、JRAの10完歩のCMが流れる)

草:武豊君の10完歩、あのきれいなフォームと、それを見守るおじいさんから若い人から、いろんな人たちの表情があって、あの中に流れていく「woh woh」がですね、また一段と素敵な曲としてね、私の胸の中にすっごい深く入ってる曲のひとつでもあるんですけれども。(熱く語る)

小:(照れ笑い?しながら)そう言ってもらえると嬉しいですね。あの曲自体が、JRA関係ねえけどこれでいいかなって(笑)それをそのまま受け入れてくれたっていうのがね、また嬉しかったし。

「言葉にできない」作詞・作曲 / 小田和正 より歌詞一部引用

小田和正8/24「ザ・ワイド」レポ2・オフコースを振り返って。に続く。