アンジェラ・アキ POWER OF MUSIC THE FINAL・レポ1「普遍的」

POWER OF MUSIC THE FINAL・レポ1「普遍的」

October04 [Wed], 2006, 2:50

2006年9月29日金曜日、21:00~、J-WAVEで放送されたラジオ番組、
「POWER OF MUSIC THE FINAL」(パーソナリティー:アンジェラ・アキさん)に、椎名林檎さんと小田和正さんがゲスト出演されました。
何に驚いたって、アンジェラ・アキさんのばりばりの徳島弁にぶったまげましたがな。(思わず出身地ググった)
なんか来月あたりプレスに全文掲載されるんじゃないかとの予感を秘めつつ、小田さんのとこだけ文字起こし~はふ。

なお放送されたものと全く同じ内容ではありません。 


アンジェラ・アキさん(以下:ア):後半は、私がリスペクトする、大先輩、といってもすごく恐縮なんですけども、お招きしてお届けしたいと思います。
まずは、ご挨拶のほうからお願いします。
小田 和正さんです。よろしくお願いします。

小田さん(以下:小):よろしくお願いします。

ア:あのー、やっぱり、本物の小田さんを前にすると、あんまりしゃべれなくなってしまうんですけども…(小:笑)
私が初めて小田さんの音楽に出会ったのは、中学生の時に、まあ、私の世代の人はみんなそうだと思うんですけども、東京ラブストーリーのエンディングで流れてきた「ラブ・ストーリーは突然に」だったんですけども。
私が15歳から25歳までアメリカの方で生活をしていて、
2003年に日本に戻って来た時に、あまりにも音楽のシーンが変わっていて、何から聴けばいいのかわからない、っていう状態の時に、
レコードショップで『自己ベスト』というアニメのカバーを見てですね。

小:とぼけたやつね。

ア:(笑)手に取ったんですけども。それが私が小田さんの音楽に出会ったきっかけのアルバムなんですけれども。
ひとつ、質問があるんですけれども…、36年間ですか、今年で。
(小:ああー。)メジャーでやられていて。

小:そうですか。

ア:ですよね小田さん。

小:まあ、そんくらいになるんかね。

ア:ですよね。私が中学校の頃に聴いていた「ラブ・ストーリーは突然に」もそうなんですけども、こんなに長くやられていて、
ぶっちゃけ、私もシンガーソングライターとして10年ぐらい曲を作ってるんですけども、ネタが切れるとか、テーマが無くなっていくっていうこと、ってないんですか?

小:ありますよそりゃね。で、それを感じたのが2枚目ぐらいだよね。
(オフコース2枚目のアルバムは『この道をゆけば』1974年)
もう…どこにも行きようがないっていう感じで。
そっからいろいろ姑息にだね。(ア:はい。)ま、いろいろそのアプローチはあると思うんだけど、ちょっと角度を変えて。その同じようなことでもちょっと角度を変えれば全然違うもんになるんだっていうこと…と、それをやっぱり信じられるかどうか、っちゅうね。

極端に言えば、同じことを同じ様に、同じような気持ちで書いても、
今日書くのと、明日書い…よし、また同じテーマでもう一回書いてみようと思った時に、たぶん違う曲になるんだよ。
そいで、それを、あー、昨日と同じだなー。マンネリだなー。って思わないで済むためには、どうしたらいいかっちゅう話だと思うんだよ。
で、まず自分を信じたり。ね。これとこれは違うんだ。同じように見えても、昨日と今日と違うものを書いたんだ、ていうことと、

やっぱり周りはマンネリマンネリっていうからね。
でも、俺もその…最初の何枚か、「また小田和正…おんなじようなどのこの」ね、「君・僕」って良く言われたのさ「君・僕の世界」みたいに。
それが、ま、20年過ぎて30年たってくると、『普遍的』って周りが勝手に言うんだよ。(ア:笑)
や、周りはいいかげんだからね。(ア:笑)

だから、でも自分もやっぱりその言われることに、マンネリってことに、やっぱりそういう風に、ああそうだろうなあって思っちゃうじゃない?
それで、そこをある程度何年間か乗り越えていくと、あ、これで良かったんだ。て思えることがいっぱい出てくるよね。

だからその、今はたぶんやっぱりね…今いくつだっけ?(ア:二十あの…もうすぐで九なんですけども)だから、20代とかいったらやっぱりすっごい狭い範囲で生きてるから。
間口はなんか狭くても、ワーって向こうに広がってんのに、こういう風にちまちま考えちゃうんだね。今の時点で。
だから、ついつい、何にもその…同じこと歌ってるなー、歌ってるなーと思ってるかも知れんけど。
それが、こういうふうにワーッと広がるときが来るよね。
だから、よし同じ曲書こう、って思うくらい、開き直れるくらいの時が来ると思うな。

ア:はあ…素晴らしいですね。

小:素晴らしいですよ。(ア:うーん。)
(笑)それでね、(ア:はい。)ほんっとに辛かったもん。また「君・僕」書いてるな、っていう。

ア:それはデビューされて何年目ぐらい…ソロになってからですか?

小:いや、ソロの頃はもうちょっと図々しかったかもしれんけど。
(ア:笑)
オフコースやり始めて、2枚目の時が…ま、一枚目でもう出し切るから。
で、少々変えても、なんかもう同じように見えちゃうし、コード展開なんかも自分のネタ全部使ってるし。ねえ。

ア:いやあ、私なんか一枚しか出してないのにもう尽きたような気がするんですよ。(小:あー。)どうしようかなと思って、次から。ぐらいな不安にかられる時もあるんですけど。

小:だ、それ自分で乗り越えられればそれでいいんだけど、
だからプロデューサーっていうのは、そういうためにいるんだと思うんだよね。それはすごく、合理的でずるいシステムかもしれんけど、やっぱそういうものが必要なんだと思うよね。そこで挫折しないために。
一人で乗り越えて行ける人は、まあ、その方がいいと思うけど、そういうプロデューサーに出会うっていうことが、大事なんだと思うね。
マストではないと思うけども。

その2「たしかなこと」につづく~

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小田さんのお誕生日に

September20 [Wed], 2006, 20:38

シャンパンで乾杯~!

今日、9月20日は小田和正さんの59歳のお誕生日です。
カフェでは、色紙にお祝いメッセージが記入できて、小田さん本人に渡してくれるそうで。きっとにぎわったことでしょう。

自分だったらなんて書こうか、あれこれ考えたけど、これだなっ。

「祈・デスマッチ優勝 」

2000年『個人主義』、2001年『LOOKING BACK2』
 2002年『自己ベスト』、2005年『そうかな』

ツアー2000『SAME MOON!!』。八景島カウントダウンライブ。
 トーク&ライブ。
 ツアー2002『kira kira』。
 早稲田。大阪。富士急。たくさんのライブ出演。
 アジアツアー。
 ツアー2005『大好きな君に』。
 夏の野外フェス。

2001年『クリスマスの約束』スタート。もし今年あれば6回目。
 2004年は3ヶ月間のレギュラー番組『風のようにうたが流れていた』。

これぜんぶ、2000年になってからわずか7年間の出来事。
50代になってからの小田さんはすごいなあ。

こんなおめでたい日に、めでたくない話で恐縮ですが。
誕生日のたびに思い出すのは、1998年夏の出来事。
もう思い出したくもない、という方は、この先は読まないでください。

1998年7月22日、デスマッチの前日。

小田さんが高速道で事故。

突然、職場に友人から電話がかかってきて、事故の一報を知った。
受話器を持ったまま、文字通り、目の前が真っ暗になった。
デスクが見えなくなった。頭の中でガンガンと激しい音が響いた。

少しして「重傷だけれど命に別状は無いって!」と。
安堵で、初めて涙があふれてきた。
トイレに駆け込んでわあわあ泣いた。
生きていてくれて本当に良かった。
ほんとうによかった。

音楽をやめてしまってもかまいません。
どうか元気で。ただ元気でいてくれれば。
それだけでいいです。
ぐずぐず泣きながらずっと祈り続けていた。

怖くてテレビのワイドショーは見れなかった。
ネットも公式ページ以外は見なかった。
電話のインフォメーションが素早くアップされていて、どれだけ慰められただろう。

小田さんが無事退院したと知り、ようやく心も落ち着いてきて、しばらくたった頃にプレスが届く。
小田さんの書いた文章を読んで、心底ほっとする。

「フナが恐い顔をして降りて来るのが見えた。」
「何を言っても吉田は帰らないだろうと思い、もう何も言わなかった。」

大丈夫だ。
小田さんにはたくさんの心強い味方がついていたんだから。

前後が大破したセルシオの写真にぞっとし、見えない力が小田さんを守ってくれたんだなと思う。
包帯を巻かれ、おとなしくしている小田さんの写真は見るのが辛く、
でも努めて明るい表現で書かれている記事に(救急車で病院についてから、ようやくデスマッチ参加をあきらめた、とか)精一杯ファンを安心させようとしてくれてるのが伝わってきて、また泣いた。

9月12日に予定していたスタレビとのイベント、10月ドラマ主題歌のレコーディング。
「やるよオレ、全部やる。」
退院して一月半もたたないのに、ライブなんてそんな無茶な。
でも無茶を承知でやってのけて、とびきり笑顔の小田さんを、テレビのワイドショーで見た。
「みんなの心配が、とっても嬉しかったです!」と。

私が小田さんに会えたのは、それから2ヶ月後の慶応大三田祭ライブ。
ギターを換える時にスタッフの手を借りていて、客席でハラハラすることもあったけど。
すっかり元気になった小田さんがそこにいて、ただただ嬉しかった。

そのうち、ギターもうんしょ、と自分で換えるようになり。
ゴルフもさっさと再開し(笑)

今じゃ花道走ってますが(わっはっは)

当時小田さんが書いた文章を引用させて頂きます。
(『SAME MOON!! 』ツアーパンフより)

(前略)『あちこちから手紙をもらった。痛む手で開けて読んだ。そのすべてに「生きていてくれて、ほんとうに良かった」と書いてあった。涙が溢れた。改めて事故の意味を、愚かしさを思った。自分の作ったものが、自分がこうして生きて来たことが、皆の心の中にそれぞれの想いとともに残っているということ、これから生きて行く先を見届けたいと思ってくれているんだということに言葉を失った。』(後略)

50代になってからの小田さんが、
ますます自分に厳しく、時に頑張り過ぎるのは、
あたかも修行僧のような風貌に見えるときがあるのは、

ファンの気持ちや期待が重すぎるから?と思うときがある。
まあ、重いだろうなー(自覚あり)

だからこそ。
感謝の気持ちを忘れないでいよう。
小田さんに。小田さんの音楽に。
小田さんが元気でいることに。

そして、これからもずっと、元気でいてくれれば。
それだけでいいです。ただそれだけで幸せです。

お誕生日おめでとうございます。

居酒屋の星野仙一・その5「君は空を見てるか、風の音を聞いてるか」

February26 [Sun], 2006, 14:50

「居酒屋の星野仙一~ゲスト・小田和正 in 名古屋」
NHK-BS2で2006年1月26日に放送されました。

先週、マックが飛んでデータがすっかり消失したのですが、直近のテキストは、復旧ソフトのおかげで一部復活しました。
また飛んじゃわないうちに、急いでアップ。

放送された内容とまったく同じではありません。

■小田さん「プロ野球はどうなるんすか。」

星野氏「このままじゃあ、終りだね。なにか、何かを変えていかんと。」

小「仙ちゃんがなにするんかなと思って。へへ」

星「俺いろいろ提案してんだけどさあ、もう…なんていうのかなあ…
みんな、変えたくないんだよね。
今のままでいいんだよという部分がある。でも、現実には視聴率も落ちてると。ま、これは東京だけの話なんだけどね。九州も、大阪も、仙台も、北海道も視聴率上がってるんだけどね。
でもやっぱり、東京、首都だし、大事だから。それが落ちたんじゃねー、寂しいからね。」

小「やっぱり、めんどくさいこと背負わなければ、絶対先には進めないよね。」

星「でしょ?」

小「うん。ぜったい。
なんか、辛いなー、ってことがないと、不安だもん。
要するに、簡単に次に進めそうな時は、どうも自分が信用できないんだ。
(星野氏:「へえー…」)ほんと。
こんな簡単にできちゃったんだけど、これでいいのかな?って思って。
なんか苦労を背負わないと、ちゃんとしたもんになってないんじゃないか、っていう」

星「たとえば、どんな苦労?」 

小「いや、なっかなかできなかったとか、音楽でも新しい曲、要するに同じことやっちゃいけないと思うから。新しい曲を覚えて、辛い思いしてでも、なんとか覚えて、それを発表しないといけないんじゃないか、とか。
そういうことがあると、『よし、これをやれば、乗り越えられんじゃないか』と思うんだよね。」

星「でもほら、スポーツ選手は特に年齢だとか、ケガだとか、そういうもので、ユニフォームを脱がざるを得ない、という時が来るわけじゃない。
小田だって、いつかステージを降りなきゃいけない時が、来るわけじゃない。それは、5年先か10年先かわからないけども。
そんな自分を想像したことある?」

小「積極的に想像はしないよね。でも、俺は意外と、そんなさみしくなく終われる気がする。
(ややうつむき加減で)まあね、昔から…ちょっと先生みたいなことは興味があったんだよね。その、先生やって、野球部の顧問やって、野球一生懸命やる、みたいな。

(腕組みをして、ちょっと上を見る)そういう、やっぱり、なんか、若い奴に、強制はしないけど、お前らこんなに楽しいことがあるし、今頑張れば、みたいなことを。自分は子供いないから。そういうことを伝えたい、伝えてやりたいなあ、そういう気持ちはあるね。

みんな、バカなことやってるミュージシャンもいっぱいいるから。ねえ。
あんまりだから押し付けなくて、押し付けてないのに、知らないうちになんか伝わってるみたいな、ことができたらいいなあって思うね。

あと、さっきのプロ野球じゃないけど。さんざん挫折してきたんだけど、音楽、なんかもっと日本の音楽の、環境がいい方へ向かうような、後押しできるような、ことができないかなあっていう。」

星「音楽界っていうのは、閉鎖的、保守的な部分はあるわけ?」

小「いろいろ悪い、閉鎖的だの保守的だの、悪い形容詞みたいのは、どれでもあるよね。どれもあるんじゃない?
どの世界でもそうだと思うよ。
文学界、なんとか界だけは、特別立派な文化を築いてる、ってことはないと
思うんだよね。政治でも。だいたい似たり寄ったりだと思うんだよね。

だからみんな同じような、至らない、倫理観の足りないような。
同じレベルだと思うんだよね。
だから、どっかが、先陣きったら。みんなそこへついてくような。
プロ野球界がすごくいい感じになってる、っつったらそれを見てるから、
文学界なんかも同じように動く、気がするんだけど。

先陣をきる必要はないけども、
その、本来音楽のあり方、目指してくもの、に突き進んでく、潔い、
『君は空を見てるか。風の音を聞いてるか』みたいな。
そんな組織があると、いいなあと思うよね。」

星「うん…日本人て、非常にネガティブに考えるから。
失敗したらどうしよう、とか、俺がひっぱってついてこなかったらどうしよう、とか。
先陣きるのものすごい嫌がるじゃない。石橋を叩いて渡るとかさ。

でも、団塊の世代はね。もう先陣行かなきゃいけない。
(小田さん「そうだね」)つまずこうが、(「そうそう」)落ちようがね。
行かなきゃいけないという。」

小「カッコ悪くてもいいやっていうとこに踏み切るのは、なかなか大変だよね。人間てのは。」

星「ある部分プライドを捨てる勇気、というのをね。持たなくちゃいけない。絶対成功しないし、そこに突き進めないから。」

小「そうなんだよね。それを捨てるところに、とっても素敵な場所が待ってるんだよね。」(優しい笑顔)
星「そうなんだよなー」小「えへへ(笑)」

星「こんな真面目な話したことないもんなー。ははは!(笑)人生論とか、過去を振り返って。」
小「良かったんじゃない?今、そういう話をするのが。」

「ずっと 友だち」に続く。→